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ダーウィンの日記1832年8月26日から28日まで [ダーウィンが行く]

ダーウィンの日記(ラプラタ河以南への巡航)

[日記仮訳]

日曜日(1832年8月)26日
土砂降りの雨で大気には霧が濃いので、測量を続けるのが不可能だった。それで私たちは錨泊している。

海底は岩になっていて従って魚が多い。船のほとんど全員が船から釣り糸を垂れて、短時間のうちに驚くほどの魚が獲れた。私はまたいくらかのサンゴモを採ったのだが、その構造が抜群に面白い。

今日、気圧計が海でどれほど有用であるかを示す素晴らしい実例があった。ここ3、4日晴れが続いている間に気圧が少しずつ下がって来ていた。艦長はそれが上昇を始めた直後になると反対側からの風、南風、が吹くだろうということについて確信を持っていて、それで彼は就寝する前に、気圧計の動きが逆になったら起こすようにとの命令を出したのであった。(このまま翌日の記事に続きます..)

27日
すると[午前]1時に気圧が上がりはじめた。艦長はすぐに総員を号笛で呼び出して抜錨するように命令を出した。1時間のうちに、それまで静かだったのに強疾風が岸に向かって吹き始めた。それで私たちは前もって準備出来ていたことを十分喜んだ。朝までにはしっかりと外洋に出てしまっていて、快適な帆走で風も強いうねりもおかまいなしだった。もし気圧計がなかったなら私たちは多分2時間は余分に錨泊していたことだろう。そうであれば、もし疾風がもう少し強かったら私たちはかなり危険な状況にいることになっただろう。実際の所、海はとても荒れて不規則であり、かなりの縦揺れのため榴弾砲が滑り座から海に落ちてしまった。これだけではなく、引き揚げている時に錨を粉々にしてしまい全く使用できなくなってしまった。夜の間に天候は落ち着き、(このまま翌日の記事に続きます..)

28日
今朝は私たちは再び岸寄りにいた。陸地から2、3海里以内に入る頃には天候はほとんど静まった。しかし大洋からのうねりは常ならず大きかった。これは水深が徐々に浅くなることから予期される事なのかもしれない。浜辺の波頭は比例的に狂暴であった。4分の1海里のところまで海は泡で白くなり飛沫の雲が多くの海里の長きにわたり海岸線を辿っていた。
測量観測をすることは不可能だったので、この宵は再び外洋に出て自然力が静まるまで忍耐強く待つ事になっている。

[天候]
1832年8月26日正午の天候:
東の風、風力2、暗い、霧、雨、全天に雲、気温摂氏11.7度、水温摂氏11.7度。

27日午前4時の天候:
南南西の風、風力7、暗い、全天曇り、雲、スコール、雨、気温摂氏10.6度。

27日正午の天候:
風力6、青空、雲、気温摂氏10.0度、水温摂氏10.0度。

27日午後8時の天候:
南の風、風力7、青空、雲、スコール、気温摂氏8.9度。

28日正午の天候:
東北東の風、風力4、暗い、全天曇り、霧、気温摂氏10.6度、水温摂氏11.4度。

[画像]この付近の海岸..
364323.jpg
出典: http://www.panoramio.com/photo/364323

[地図]1832年8月26日正午のビーグル号の位置..
<
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8月27日正午のビーグル号の位置 "朝までにはしっかりと外洋に出てしまって.."..

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8月28日正午のビーグル号の位置 "私たちは再び岸寄りにいた.."..

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[参考画像]強疾風の吹き出した海面..
g.jpg
(2006.10.25. 07:35 犬吠埼のやや南の沖 風力7~8)

[日記原文]
Sunday 26th
Torrents of rain & the atmosphere was so thick, that it was impossible to continue the survey. — We remained therefore at anchor. — The bottom was rocky & in consequence plenty of fish: almost every man in the ship had a line overboard & in a short time a surprising number of fine fish were caught. — I also got some Corallines which were preeminently curious in their structure. —
We had to day a beautiful illustration how useful the Barometer is at sea. — During the last three or four fine days it has been slowly falling. —the Captain felt so sure, that shortly after it began to rise we should have the wind from the opposite quarter, the South, that when he went to bed he left orders to be called when the Barometer turned.

27th
Accordingly at one oclock it began to rise, & the Captain immediately ordered all hands to be piped up to weigh anchor. — In the course of an hour from being a calm it blew a gale right on shore, so that we were glad enough to beat off. — By the morning we were well out at sea; so with snug sail cared little for the breeze or the heavy swell. — If we had not a Barometer, we probably should have remained two hours longer at anchor, & then if the gale had been a little harder we should have been in a most dangerous situation. — As it was, the sea was very heavy & irregular, — it fairly pitched our Howitzer out of the slide into the sea. — This was not our only misfortune, as in weighing ship, we tore our anchor into pieces & quite disabled it for use. — During the night the weather moderated &

28th
this morning we stood in again for the shore. — By the time we got within a few miles of the land it was almost calm, but the swell from the ocean was extraordinarily great. — This is what might be expected from the gradual shoaling of the water. — The surf on the beach was proportionally violent: for 1/4 of a mile the sea was white with foam & a cloud of spray traced for many miles the line of coast. As it was impossible to take observations, we are this evening again standing out to sea, patiently to wait till the elements are quiet. —

["ダーウィンが行く"について]
このシリーズで扱っているのはダーウィンがビーグル号に乗っている時の日記です。訳文は私的な研究目的に供するだけの仮のものです。普通は全文を訳しますが日によっては原文全文と注釈または抄訳だけにとどめる場合もあります。抄訳の時はその旨を明示します。
[日記原典] "Charles Darwin's Beagle Diary" ed. by R.D.Keynes, Cambridge U.P., 1988.

ダーウィンの日記全体の冒頭部はこのブログでは次のページにあります..
http://kozuchi.blog.so-net.ne.jp/2006-10-23


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ダーウィンの日記1832年8月25日 [ダーウィンが行く]

ダーウィンの日記(ラプラタ河以南への巡航)

[日記仮訳]

(1832年8月)25日

今日は順調に70海里[129.7km]進んだ。 実際のところは、この微風は私の趣味からすればあまりにも良すぎてしまい、この風のためにコリエンテス岬に上陸する試みは妨げられたわけである。
岬を正午に回った。

岸にかなり近づいて帆走した。色々な土地を急速に通り過ぎるのを見るのはとても面白いものだ。コリエンテスの北は、まったく水平な崖の線が砂の小丘に取って代わっている。その崖は垂直で約30フィート[9.1m]の高さがあり、若干の例外を除いて岬の南までずっとつづいている。マストの先からは、平らなパンパの遮るものあるいは高みというもののない大きな広がりが見えた。

みんなが驚いたのだが、コリエンテスの岬の近くにウシの大放牧場があった。家畜は家屋の近くにとても豊富にいて、その場所は繁栄しているように見えた。[欄外への書き込み:50,000頭いると聞いた。] ウマに乗った2、3人が私たちをかなり興味深げに見つめていた。それでこちらはペナントと旗とを掲げたのだが[注]、これらは疑いもなくここの海で彼等が初めて見るものであった。この農場はどの町からも大体200海里[370.6km]は離れているに違いない。しかもその間のより大きな部分は砂漠状の塩の平野になっているのである。文明化された人々にとってこれより辺鄙な居住地は簡単には想像出来ないだろう。
[注] ペナントについてはこのページ下に参考画像があります。

[天候]
1832年8月25日正午の天候:
北西の風、風力4、青空、雲、霧、気温摂氏14.4度、水温摂氏11.7度。

[地図1]コリエンテス岬(Cabo Corrientes)の位置..

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[地図2]1832年8月25日正午のビーグル号の位置(コリエンテス岬の南)..

ビーグル号の位置の緯度・経度はフィッツロイ艦長の記した数値です。

[画像]コリエンテス岬の南の海岸..
535534.jpg
出典: http://www.panoramio.com/photo/535534

[日記原文]
25th
We have made an excellent run of 70 miles to day. — Indeed the breeze to my taste was much too good, as it prevented us from attempting to land at Cape Corrientes, which we doubled at Noon. — We sailed very close to the shore, & it was very interesting viewing the different countries as we rapidly passed on. — North of Corrientes, a dead level line of cliff takes the place of the sand hillocks. — The cliff is perpendicular & about 30 feet high, & with a few exceptions is continued all the way South of the Cape. — From the mast-head a great extent of flat Pampas was seen without any break. — or elevation. — To every ones astonishment there was near the promontory of Corrientes an Estancia. — Cattle were very abundant near the house, & the place looked prosperous. — {[Note in margin:] We have heard they have 50000 head:} Two or three men on horseback were watching us with great interest: so we hoisted our pennant & colours, & doubtless for the first time they had ever been seen them in this sea. — This farm must be about 200 miles from any town, & the greater part of the interval consists in desert salt plains. — There cannot easily be imagined a more desolate habitation for civilized man. —

["ダーウィンが行く"について]
このシリーズで扱っているのはダーウィンがビーグル号に乗っている時の日記です。訳文は私的な研究目的に供するだけの仮のものです。普通は全文を訳しますが日によっては原文全文と注釈または抄訳だけにとどめる場合もあります。抄訳の時はその旨を明示します。
[日記原典] "Charles Darwin's Beagle Diary" ed. by R.D.Keynes, Cambridge U.P., 1988.

ダーウィンの日記全体の冒頭部はこのブログでは次のページにあります..
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[参考画像]ここでダーウィンが言っていると考えられるペナントと旗("red ensign")..


("Commissioning Pendant")

red-ensign.jpg
("red ensign")



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ダーウィンの日記1832年8月24日 [ダーウィンが行く]

ダーウィンの日記(ラプラタ河以南への巡航)

[日記仮訳]
(1832年8月)24日
やっと、しっかりと進む事が出来た。コリエンテス岬の北方で海岸の表情にわずかな程度ではあるが変化があった。波を打つような砂の小丘の連鎖のかわりに、地平線が低い卓状地で画されている。これが広い切れ目あるいは谷によって区分されていて多くの角ばった塊を示している。

日中、陸地の内側での多くの大きな火による煙を見た。それが何に起因しているのかを推測するのは容易ではない。インディアンのものだとすればここは北すぎるし、スペイン人はこの辺には住んでいない。

日が沈む時、空には雲がなかった。北よりの風が続く大きな期待がある。もしそうであれば、明日私たちはコリエンテスを回るだろう。そして可能ならボートで岬に上陸するのだ。

[天候]
1832年8月24日正午の天候:
北北東の風、風力2、青空、雲、気温摂氏12.8度、水温摂氏11.7度。

[地図1]1832年8月24日正午のビーグル号の位置..

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[地図2]コリエンテス岬(Cabo Corrientes)の位置..

この緯度経度の数値はフィッツロイ艦長の記したものではありません

[画像]コリエンテス岬北方の海岸(1)..
vistadelmar.jpg
出典: http://www.panoramio.com/photo/8466676

コリエンテス岬北方の海岸(2)..
3689705.jpg
出典: http://www.panoramio.com/photo/3689705

[日記原文]
24th
We have made a good run; at last. North of Cape of Corrientes the coast in a small degree has altered its appearance: instead of the undulating chain of sand-hillocks, the horizon is bounded by low table land. This being divided by broard gaps or vallies, presents so many square masses. —

We have seen during the day the smoke from several large fires within the country: it is not easy to guess how they arise. — It is too far North for the Indians & the country is uninhabited by the Spaniards. — The sun set in a cloudless sky; & there is every prospect of the Northerly wind lasting; if so tomorrow we shall double Corrientes & if we can, land in the boats on the promontory. —


["ダーウィンが行く"について]
このシリーズで扱っているのはダーウィンがビーグル号に乗っている時の日記です。訳文は私的な研究目的に供するだけの仮のものです。普通は全文を訳しますが日によっては原文全文と注釈または抄訳だけにとどめる場合もあります。抄訳の時はその旨を明示します。
[日記原典] "Charles Darwin's Beagle Diary" ed. by R.D.Keynes, Cambridge U.P., 1988.

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ダーウィンの日記1832年8月22日と23日 [ダーウィンが行く]

ダーウィンの日記(ラ・プラタ河以南の巡航)

[日記仮訳]
(1832年8月)22日
一日中岸から2~3海里以内の所を帆走した。40海里[74.1km]にわたって一筋の単純な砂の小丘が全く途切れる事なく、なんの変化もなかった。この辺の陸地は人が住まず、船はこの進路を頻繁に辿ることはない。そういうわけでここは私がこれまで訪ねたうちで最も辺鄙な場所なのだ。

日没時、投錨の前、突然に堆に出くわし、すぐに舳先を風に向けるようにしむけられた。好天は測量にとって最も重要なことで、それが続く限り、海岸に沿ってゆっくり帆走することは全ての目的にとって十分なのである。

[天候]
1832年8月22日正午の天候:
北西微北風、風力4、青空、雲、気温摂氏13.1度。

[地図]1832年8月22日正午のビーグル号の位置..

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[日記仮訳(続)]
23日
天候は相変わらずとても良い。今朝は南西の雲の堤が私たちを脅かしたのではあったが、今夜は静かに錨泊している。測量士ほど天候の状態の観察を熱望する理由を持つ人々はあるまい。彼等は義務により他の全ての船が避ける場所に行くのであり、その安全のためには最悪の場合に対して備えなければならないのである。
毎晩トップスルを縮帆して、微風で私たちが動くべき時に時間を無駄にしないようにしている。昨日の朝は、錨を抜き、それを固定し、完全に出帆するまでわずか5分だった。私たちはこの日はあまり進まなかった。というのは常にタッキングをしながら岸に平行に進んで来たからだ。

[天候]
1832年8月23日正午の天候:
(風向き空欄)、風力4、青空、雲、気温摂氏13.1度、水温摂氏11.7度。

[地図2]1832年8月23日正午のビーグル号の位置..

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[画像]この付近の海岸..
1899700.jpg
出典: http://www.panoramio.com/photo/1899700

[画像2]この付近の砂丘..
2086976.jpg
出典: http://www.panoramio.com/photo/2086976

[日記原文]
22nd
All day we have been sailing within two or three miles off the coast. — For 40 miles it has been one single line of sandy hillocks, without any break or change. The country within is uninhabited, & ships never frequent this track, so that it is the most desolate place I have ever visited. — At sunset, before anchoring, we came rather suddenly on a bank, & were obliged instantly to put the ship up to the wind. — This fine weather is of the greatest importance to the surveying & as long as it lasts, sailing slowly along the coast is sufficient for all purposes. —

23rd
The weather continues most beautiful: a bank of clouds in the SW frightened us in the morning but now at night we are at an anchor with a calm. — No people have such cause anxiously to watch the state of weather — as Surveyors. — Their very duty leads them into the places which all other ships avoid & their safety depends on being prepared for the worst. — Every night we reef our top-sails so as to lose no time if a breeze should force us to move. — Yesterday morning getting up the anchor & securing it & setting all sail only took us five minutes. — We have not made much progress during the day; for we have tacked all the time parallel to the coast. —

["ダーウィンが行く"について]
このシリーズで扱っているのはダーウィンがビーグル号に乗っている時の日記です。訳文は私的な研究目的に供するだけの仮のものです。普通は全文を訳しますが日によっては原文全文と注釈または抄訳だけにとどめる場合もあります。抄訳の時はその旨を明示します。
[日記原典]
"Charles Darwin's Beagle Diary" ed. by R.D.Keynes, Cambridge U.P., 1988.

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ダーウィンの日記1832年8月21日 [ダーウィンが行く]

ダーウィンの日記(ラ・プラタ河以南の巡航)

[日記仮訳]
(1832年8月)21日
昼ごろピエドラ岬[注]の近くに投錨し、測深のためのボートを出した。出発してすぐに水が引き始め、はっきりそれと分かるほど船底が海底を擦った。静かな天候においてはこれはほとんど問題にならないが、いくらかの波がある時には船底に穴が開けられてしまうのにそれほど時間はかからない。
[注]地図1参照。

岸は低くて茂みに覆われていた。相異なった土地が全く同じように見えるということがこの河[注]を航行する場合の主な困難の原因だ。
[注]ラ・プラタ河。

[地図1] ピエドラ岬..


地図表示におけるマップポインターについての一般的注意(2009年9月27日に付記): この一連のブログ記事において、緑色のマップポインターが筆者(ブログ作成者)の意図する地点を指しているものです。"A"の表示を持つマップポインターはGoogle Mapsのソフトウェアの仕様により自動的に付加されるもので筆者の意図によるものではありません。
もともとはこのブログを書いている初期の段階では"A"の印を持つマップポインターを筆者の意図する地点を表示するために使用していました。その後2009年半ば近くになりGoogle Mapsのソフトウェアの仕様が変化して、 自動的に"A"と表示されるマップポインターがその図において代表的な地点(ブログ作成者の意図とは無関係)を示すものとして付加されるものとなり、筆者が意図する地点(初期に"A"で表していたもの)は緑色のマップポインターが指し示すという形に自動的に切り変わっております。この場合"A"の地点は一般には記事とは無関係なものとなっています。(ただし、たまたま"A"の地点と筆者の意図する地点がほぼ一致しているという場合もあります。)
ブログ記事アーカイヴにおいて気の付く限りマップポインターへの言及を現在修正しつつありますが、まだ全てには手が回りかねますので、もし過去記事をお読みになる労を厭わない方がおいででしたら、その場合は各記事の地図表示のマップポインターに留意されたく思います。念のために繰り返しますと、まれに"A"のマップポインターがたまたま意図するものに一致する場合もありますが、原則としてのマップポインターが筆者の意図するものです。


[日記仮訳(続)]
この2日間天候はとても良く晴れている。空にひとつとして雲があったとは思えない。多くの陸鳥が索具に休んでいる。ヒバリ、タイランチョウ、ハト、そしてモズといったものたちだが、みなかなり消耗しているように見える。

夜、サン・アントニオ岬[注]の北に投錨した。ここを回れば私たちは開けた海に出る。水はもうすでにひどい泥の色をしていない。
[注]地図2参照。

[天候]
1832年8月21日正午の天候:
北北西の風、風力2、青空、雲、気温摂氏14.4度。

[地図2]サン・アントニオ岬..

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[画像] 現在のサン・アントニオ灯台から海を望む..
862746.jpg
出典: http://www.panoramio.com/photo/862746

[日記原文]
21st
In middle of day anchored near Point Piedras, & sent our boats to sound. — Shortly after getting under way, the water suddenly shoaled & we grazed the bottom rather too sensibly. —
In calm weather this is of little consequence, but when there is any sea, it does not take long to knock a hole in the bottom. — The coast was very low, & covered with thickets. — the extreme similarity of different parts of the banks is the chief cause of the difficulty of navigating this river. — The weather has been beautifully clear during these last two days. — I do not believe there has been one single cloud in the heavens. — Several land-birds took refuge in the rigging, such as larks, fly-catchers, doves & butcher-birds & all appeared quite exhausted. — To night we have anchored North of Cape St Antonio, — as soon as we double this we shall be in the open ocean. — Already the water has lost its ugly muddy colour. —

["ダーウィンが行く"について]
このシリーズで扱っているのはダーウィンがビーグル号に乗っている時の日記です。訳文は私的な研究目的に供するだけの仮のものです。普通は全文を訳しますが日によっては原文全文と注釈または抄訳だけにとどめる場合もあります。抄訳の時はその旨を明示します。
[日記原典]
"Charles Darwin's Beagle Diary" ed. by R.D.Keynes, Cambridge U.P., 1988.

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ダーウィンの日記1832年8月19日と20日 [ダーウィンが行く]

ダーウィンの日記(ラ・プラタ河口から南方への巡航に出発)

[日記仮訳]
日曜日(1832年8月)19日
午前中北西からの強い風があった。この向きの風[注]は河の水位をすぐに下げてしまう。昨夜は船尾で水深18フィート[5.49m]あったのが、朝にはわずか13フィート[3.96m]だった。そのため、今日中に出発することを企図してはいるがそれとは別に、錨地を移しておくのが良いということになった[*注]
[注]河の流路に沿う向きの風。
[*注]ビーグル号の吃水は12.5フィート(3.8m)。

錨を抜いた途端に、私たちは風のために古い難破船を示す浮標から数ヤード以内の所に吹き流された。これは水兵たちの働きを見守る時であった。1本でも綱がもつれれば座礁したに違いない。町にいる[別の船の]水夫たちは"A Dios barca inglese[sic], A Dios[西](さらば、英国船、さらばだ)"と言っていた。商船だったらまったく無事ではすまされなかったことであろう。しかしこちらの人員にとってこれは単に出帆し船出する2度目の日曜日[注]の作業に過ぎないのであった。私にとっては強い風の風下に岸がある時の操船の[様子を見るという]最初の事例であった。
午前中私たちはずっとタッキングして天候が落ち着くのを待ち、ようやく再び投錨した。
[注]この出帆日8月19日は日曜日ですが、先にも3月18日の日曜日にバイアからビーグル号は出帆しているので、今回は2度目の日曜日の出帆ということになります。要するに、操船自体には特に変わったことはなく、あえて取り上げて言うほどのことがあるとすれば日曜日の出発だったということぐらいだ、の意。

午後に私はいくつかの小包や私の集めた標本の箱を郵便船に送った。ボートが岸から帰り着いてからすぐに私たちは出帆した。順風が私たちを、昨夜投錨していたマウント[注]から40海里[74.13km]も運んでくれた。ラ・プラタにおけるような浅い水域では海面はとても無愛想で、こんなにも水しぶきがビーグル号に降り掛かるのを見るのは初めてで、これより不快な胃の感覚を感ずるのはあまりなかったことだ。
[注]下の画像参照。

20日
午後に河の南岸にあるピエドラ岬[注]から8海里[14.83km]のところに投錨した。この距離において水深わずか18フィート[5.49m]であった。
[注]下の地図2参照。

艦長は、当面のところは海岸の主要地点[の位置]を確かめることを企図している。陸地のスペイン人たちがすでに細部を書き入れているわけだし、船が近づけずほとんど人も住まない海岸の細々(こまごま)とした情報にはそれほど大きな価値はないだろうというわけだ。

[天候]
1832年8月19日(出帆の日)正午の天候:
北北西の風、風力5、青空、雲、スコール、気温華氏52.5度(摂氏11.4度)。

[画像]モンテビデオの湾のすぐ外側から見る"マウント"(高さ134mほどなので、24海里よりも離れた場合は海面近くからではもう見えません)..
08v.jpg
C.Martens. 1833.08.

以下の地図表示におけるマップポインターについての一般的注意(2009年9月27日に付記): この一連のブログ記事において、緑色のマップポインターが筆者(ブログ作成者)の意図する地点を指しているものです。"A"の表示を持つマップポインターはGoogle Mapsのソフトウェアの仕様により自動的に付加されるもので筆者の意図によるものではありません。
もともとはこのブログを書いている初期の段階では"A"の印を持つマップポインターを筆者の意図する地点を表示するために使用していました。その後2009年半ば近くになりGoogle Mapsのソフトウェアの仕様が変化して、 自動的に"A"と表示されるマップポインターがその図において代表的な地点(ブログ作成者の意図とは無関係)を示すものとして付加されるものとなり、筆者が意図する地点(初期に"A"で表していたもの)は緑色のマップポインターが指し示すという形に自動的に切り変わっております。この場合"A"の地点は一般には記事とは無関係なものとなっています。(ただし、たまたま"A"の地点と筆者の意図する地点がほぼ一致しているという場合もあります。)
ブログ記事アーカイヴにおいて気の付く限りマップポインターへの言及を現在修正しつつありますが、まだ全てには手が回りかねますので、もし過去記事をお読みになる労を厭わない方がおいででしたら、その場合は各記事の地図表示のマップポインターに留意されたく思います。念のために繰り返しますと、まれに"A"のマップポインターがたまたま意図するものに一致する場合もありますが、原則としてのマップポインターが筆者の意図するものです。

[地図]1832年8月20日(出帆の翌日)正午のビーグル号の位置..

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[地図2]ピエドラ岬の位置..

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この緯度・経度はフィッツロイ艦長の示したものではなく、現行のWGS84の座標系で表示されたものです。
数値の出典: http://www.fallingrain.com/world/AR/1/Pareje_Punta_Piedras.html


[日記原文]
Sunday 19th
In the morning there was a fresh breeze from the NW. — A wind in this direction soon emptys the river. at night we had 18 feet under our stern, in the morning only 13. From this cause, independently of intending to sail in the course of the day, it was advisable to move our anchorage. —

The instant we had tripped our anchor the wind drifted us within a few yards of the buoy which marks the old wreck. Then is the time to watch sailors working: one foul rope & we should have been on shore. — The sailors in the city were saying, A dios Barca Inglese, A Dios. — A merchant ship certainly would have had no chance of escaping: but with our body of men it is the work of a second Sunday to set sail & get way on the ship. This has been for me the first specimen of working off a lee-shore with a stiff breeze blowing. —
During the morning we tacked about, waiting for the weather to moderate & at last again anchored. — In the afternoon we sent on board the Packet some parcels &c & my box of specimens, & the boats returning from shore, we made sail. — A fine breeze carried us 40 miles from the Mount, where we anchored for the night. — In such shoal water as in the Plata the sea is very short; I have never seen so much spray break over the Beagle & I have not often felt a more disagreeable sensation in my stomach. —

20th
In the afternoon we anchored 8 miles off Point Piedras on the Southern shore of the river. — At this distance there were only 18 feet water. — The Captain intends at present verifying the leading points in the coast. — The Spaniards on shore having already filled up the details. — Any minute knowledge of an almost uninhabited coast where shipping cannot approach, will never be of any great value. —

["ダーウィンが行く"について]
このシリーズで扱っているのはダーウィンがビーグル号に乗っている時の日記です。訳文は私的な研究目的に供するだけの仮のものです。普通は全文を訳しますが日によっては原文全文と注釈または抄訳だけにとどめる場合もあります。抄訳の時はその旨を明示します。
[日記原典]
"Charles Darwin's Beagle Diary" ed. by R.D.Keynes, Cambridge U.P., 1988.

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ダーウィンの日記1832年8月15日から18日まで [ダーウィンが行く]

cdarwin.jpg

ダーウィンの日記(モンテビデオ)

[日記仮訳]

(1832年8月)15日

ボートでマウントに上陸した時、大きなヤギ[cabra]またはカピバラ[capincha][注]が岩の上にいるので驚いた。小さな湾での活気づいた長い追跡の後、その頭を弾丸1個で撃つことが出来た。これらの動物はオリノコ河と関連づけられているがこの辺でも珍しいというわけではない。だが、その用心深さと飛び込んで泳ぐ能力のゆえに捕まえるのは困難である。体格においてテンジクネズミに似ている。習性においてはミズハタネズミに似る。重さは98ポンド[トロイポンド;36.58kg]あった。
[注] ここで"ヤギまたはカピバラ(Cabra or Capincha)"と書いてます。明らかにカピバラのことを言っていると思われます。カピバラの意味の"capincha"もヤギの意味の"cabra"もスペイン語の単語なのでダーウィンのよく知る語彙のうちにはなかったと考えられます。まだ見慣れない動物で、その日のうちに日記を書くのによく調べる時間がない場合は時にこういう風に名前があいまいな事例もあるのでしょう。
自分の収穫[カピバラ]を意気揚々として船に送ってから私は数多くの色々な動物を採集した。何匹かの美しいヘビ、トカゲ、甲虫たちである。石の下には沢山の2インチ[5.08cm]ほどの長さのサソリがいた。杖で地面に押し付けられるとそれらははっきりと音が聞こえるほどの力をもって針でそれを突刺した。

ドルイド号は、ブエノス・アイレスの政府から、私たちに向かってなされた侮辱[注]に対する長い弁明を持ち帰った。監視船の船長は直ちに逮捕され、彼が職務を続けられるかどうかは英国の領事の選択に委ねられた。
[注]8月2日のブエノス・アイレスでの監視船からの発砲事件のこと。

16日
今日は昨日の労働の豊富な成果を調べて過ごした。
ビーグル号は明後日に最初の巡航のために外洋に出る[注]
[注] 実際の出発は19日になります。これによりビーグル号のこの航海での本格的ミッションが始動するわけです。そしてダーウィンの多くの発見はこの先にあります。

17日
まる一昼夜南からの強い風が吹いた。何度もの雹(ひょう)を伴う嵐があり、それは私たちの凍った海への最初の紹介である。河では波が[勢いにおいて]増大し、水深が浅いことにより波が泥を含んでまるで泥の山々のように見える。この風に対して船首を向けての乗り心地というものは私の胃の腑のまさに根底部分を揺さぶるものだ。

18日
多くの士官が岸にいてまだこちらに来る事が出来ないでいる。しかし艦長は測量観測のために敢てラット島まで帆走した。ホウェール・ボート[注]が海面で跳躍するところを見るのは見事なものだった。帰りには彼はその帆の帆桁をとりはらったのだった。
[注] ビーグル号に搭載していたボートのひとつ。

[注釈] この翌日19日に、ビーグル号はここより南方の海岸測量のために出帆します。

[画像]ダーウィンが"マウント"と呼んでいる丘の遠景..
19r.jpg
C.Martens. 1833.09.

[天候]
1832年8月17日正午の天候:
南西の風、風力5、青空と雲、スコール、気温華氏47度(摂氏8.3度)。

8月18日正午の天候:
南南西の風、風力5、青空と雲、スコール、気温華氏46度(摂氏7.8度)。

[地図]モンテビデオのあるラプラタ河口(少し上流にブエノス・アイレス)..

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[日記原文]
15th
As the boat was landing me at the Mount, we surprised a large Cabra or Capincha on the rocks. After a long & animated chace in a little bay, I succeeded in shooting it through the head with a ball. — These animals abound in the Orinoco & are not uncommon here, but from their shyness & powers of swimming & diving are difficult to be obtained. — It is like in its structure a large guinea-pig: in its habits a water rat. — it weighed 98 pounds. — Having sent my game on board in triumph, I collected great numbers of different animals: some beautiful snakes & lizards & beetles. Under stones were several scorpions about 2 inches long; when pressed with by a stick to the ground, they struck it with their stings with such force as very distinctly to be heard. —

The Druid has returned from Buenos Ayres & brought from the its government a long apology for the insult offered to us. — The Captain of the Guard-ship was immediately arrested & it was left to the British consuls choice whether he should any longer retain his commission. —

16th
Spent the day in examining the rich produce of yesterdays labor. — The Beagle goes to sea the day after tomorrow for her first cruize. —

17th
All day & night it has blown a stiff breeze from the South. There have been several hail-storms, which forms our first introduction to frozen water. — A sea soon gets up in the river & from its little depth the waves become so muddy that they look like mountains of mud. — This riding with our head to wind shakes the very foundation of my stomach. —

18th
Several officers are on shore & cannot yet come off. — The Captain however has ventured to sail to Rat Island to obtain sights. It was beautiful to see how the whale-boat hops over the sea. — In returning he carried away the yard of his sail. —

["ダーウィンが行く"について]
このシリーズで扱っているのはダーウィンがビーグル号に乗っている時の日記です。訳文は私的な研究目的に供するだけの仮のものです。普通は全文を訳しますが日によっては原文全文と注釈または抄訳だけにとどめる場合もあります。抄訳の時はその旨を明示します。
[日記原典]
"Charles Darwin's Beagle Diary" ed. by R.D.Keynes, Cambridge U.P., 1988.

ダーウィンの日記全体の冒頭部はこのブログでは次のページにあります..
http://kozuchi.blog.so-net.ne.jp/2006-10-23


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