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低気圧情報(主に台風: 2009年) [海と船]

以下は主に台風関連の情報を見るためのサイトのリストです。

気象庁台風情報..
http://www.jma.go.jp/jp/typh/

ウェザーニュース台風情報(開いたページで右側の「熱帯低気圧情報」をクリックすると台風が発生していなくても熱帯低気圧の様子や発生可能性エリアを見る事ができます)..
http://weathernews.jp/typhoon/

"台風予想進路図(気象庁発表)"[国際気象海洋株式会社]..
http://www.imocwx.com/typ.htm

Joint Typhoon Warning Center (米) 衛星画像 台風発生以前の"熱帯擾乱tropical disturbance"段階から監視している様を見る事ができます。(誰でもアクセスできるサイトですが方式がhttpsなので開く前に確認のポップアップがあるかも知れません。)..
https://metocph.nmci.navy.mil/jtwc/ab/abpwsair.jpg

Joint Typhoon Warning Center
(サイクロンまたは台風が発生しそうかまたは発生した時はここ↓の"Current Northwest Pacific/North Indian Ocean Tropical Systems"の項目で情報を見る事が出来ます)..
http://metocph.nmci.navy.mil/jtwc.php

○レーダー(気象庁)..
http://www.jma.go.jp/jp/radnowc/

○気象衛星写真(気象庁)
赤外線..
http://www.jma.go.jp/jp/gms/largec.html?area=3&element=0
水蒸気アニメーション
http://www.tenki.jp/him/him_anim_su.html
○デジタル台風
http://agora.ex.nii.ac.jp/digital-typhoon/latest/globe/512x512/ir.jpg

○Tropical Storm Risk (TSR)からの検索も参考になります。(大きな熱帯低気圧が発生した場合は地図に示されますので、そこをクリック..)
http://tsr.mssl.ucl.ac.uk/

○(米)海軍の気象部門による台風進路予測は次のページから(特に"West Pacific")発生している台風について個別に見ることができます..
http://www.nrlmry.navy.mil/tc-bin/tc_home2.cgi
(日時の表示は協定世界時UTCを用いていますので、9時間をプラスすると日本標準時に直せます。)

○または次のページから調べることもできます..
http://www.solar.ifa.hawaii.edu/Tropical/


○海面の水温(気象庁)..
http://www.data.kishou.go.jp/kaiyou/db/kaikyo/daily/sst_jp.html

○200hPaストリームライン[上空のジェット気流の様子]の現状(実際は半日遅れで表示されます)..
http://wxmaps.org/pix/ea5.00hr.png

○上層指向流..
http://cimss.ssec.wisc.edu/tropic/real-time/westpac/winds/archive/wgmsdlm2-1.html

○FNMOC(米国)..
https://www.fnmoc.navy.mil/public/welcome/site_map.html

○ECMWF(ヨーロッパ)..
台風に限らない数日先の予想です。(このサイトは1週間から10日の長さでの全般的天気予報に強みがあるようです。)..
http://www.ecmwf.int/products/forecasts/d/charts/medium/deterministic/msl_uv850_z500!Wind%20850%20and%20mslp!240!Asia!pop!od!oper!public_plots!2007060112!!/

○参考資料:気象関連リンク集..
http://www.weathercaster.jp/NPOWCN/link.html



*台風の命名法についての解説です..
http://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/typhoon/1-5.html

**気象庁による台風の階級付け..
http://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/typhoon/1-3.html

***JAXAによるエルニーニョ(ラニーニャ)・ウォッチ..
http://sharaku.eorc.jaxa.jp/cgi-bin/amsr/elni2/elni2.cgi?lang=j

"詳細気象情報"
http://www.bioweather.net/detailed/kishodata/list_mem.htm

気象警報・注意報
http://www.jma.go.jp/jp/warn/

最新の気象衛星画像を下のリンク先で見ることが出来ます。
http://www.jma.go.jp/jp/gms/smallc.html?area=1&element=0
http://www.jma.go.jp/jp/gms/smallc.html?area=0&element=0

沿岸波浪予想(気象庁発表)
http://www.imocwx.com/cwm.htm

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気象情報(主に低気圧; 随時更新) [海と船]


気象警報・注意報
http://www.jma.go.jp/jp/warn/


"詳細気象情報"
http://www.bioweather.net/detailed/kishodata/list_mem.htm

2008年の台風について(気象庁)
http://www.jma.go.jp/jma/press/0812/22a/typhoon2008.pdf

2007年の台風について(気象庁)
http://www.jma.go.jp/jma/press/0712/21b/typhoon2007.pdf

最新の気象衛星画像を下のリンク先で見ることが出来ます。
http://www.jma.go.jp/jp/gms/smallc.html?area=1&element=0
http://www.jma.go.jp/jp/gms/smallc.html?area=0&element=0

沿岸波浪予想(気象庁発表)
http://www.imocwx.com/cwm.htm

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気象情報(主に台風; 2008年) 随時更新 [海と船]

以下は主に台風関連の情報を見るためのサイトのリストです。

気象庁台風情報..
http://www.jma.go.jp/jp/typh/

ウェザーニュース台風情報(開いたページで右側の「熱帯低気圧情報」をクリックすると台風が発生していなくても熱帯低気圧の様子や発生可能性エリアを見る事ができます)..
http://weathernews.jp/typhoon/

"台風予想進路図(気象庁発表)"[国際気象海洋株式会社]..
http://www.imocwx.com/typ.htm

Joint Typhoon Warning Center (米) 衛星画像 台風発生以前の"熱帯擾乱tropical disturbance"段階から監視している様を見る事ができます。(誰でもアクセスできるサイトですが方式がhttpsなので開く前に確認のポップアップがあるかも知れません。)..
https://metocph.nmci.navy.mil/jtwc/ab/abpwsair.jpg

Joint Typhoon Warning Center
(サイクロンまたは台風が発生しそうかまたは発生した時はここ↓の"Current Northwest Pacific/North Indian Ocean Tropical Systems"の項目で情報を見る事が出来ます)..
http://metocph.nmci.navy.mil/jtwc.php

○レーダー(気象庁)..
http://www.jma.go.jp/jp/radnowc/

○気象衛星写真(気象庁)
赤外線..
http://www.jma.go.jp/jp/gms/largec.html?area=3&element=0
水蒸気アニメーション
http://www.tenki.jp/him/him_anim_su.html
○デジタル台風
http://agora.ex.nii.ac.jp/digital-typhoon/latest/globe/512x512/ir.jpg

○Tropical Storm Risk (TSR)からの検索も参考になります。(大きな熱帯低気圧が発生した場合は地図に示されますので、そこをクリック..)
http://tsr.mssl.ucl.ac.uk/

○(米)海軍の気象部門による台風進路予測は次のページから(特に"West Pacific")発生している台風について個別に見ることができます..
http://www.nrlmry.navy.mil/tc-bin/tc_home2.cgi
(日時の表示は協定世界時UTCを用いていますので、9時間をプラスすると日本標準時に直せます。)

○または次のページから調べることもできます..
http://www.solar.ifa.hawaii.edu/Tropical/


○海面の水温(気象庁)..
http://www.data.kishou.go.jp/kaiyou/db/kaikyo/daily/sst_jp.html

○200hPaストリームライン[上空のジェット気流の様子]の現状(実際は半日遅れで表示されます)..
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○上層指向流..
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○FNMOC(米国)..
https://www.fnmoc.navy.mil/public/welcome/site_map.html

○ECMWF(ヨーロッパ)..
台風に限らない数日先の予想です。(このサイトは1週間から10日の長さでの全般的天気予報に強みがあるようです。)..
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○参考資料:気象関連リンク集..
http://www.weathercaster.jp/NPOWCN/link.html



*台風の命名法についての解説です..
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**気象庁による台風の階級付け..
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***JAXAによるエルニーニョ(ラニーニャ)・ウォッチ..
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"詳細気象情報"
http://www.bioweather.net/detailed/kishodata/list_mem.htm

気象警報・注意報
http://www.jma.go.jp/jp/warn/

最新の気象衛星画像を下のリンク先で見ることが出来ます。
http://www.jma.go.jp/jp/gms/smallc.html?area=1&element=0
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沿岸波浪予想(気象庁発表)
http://www.imocwx.com/cwm.htm


タグ:台風
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JCGフェスタin舞鶴 (7/20/2008) [海と船]

- 海上保安制度創設60周年記念行事の一環です-

s.jpg



(画像のみ;拡大出来ます)

[巡視船だいせん に 第八管区海上保安本部長 乗船]
chief.jpg

[若狭湾]
wakasa.jpg


View Larger Map

[滑らかな海面に静かなひき波]
waves.jpg

surface.jpg

[海上保安庁の巡視船列(八管)]
line.jpg

登舷礼..
[きそ PL 53; ヘリ甲板付き高速高機能、最新就役; 境海上保安部]
kisoJCG.jpg

[えちぜん PM 25; 中型巡視船、最新就役; 敦賀海上保安部]
echizenJCG.jpg

[ほたか PS 202; 小型巡視船; 敦賀海上保安部]
hotakaJCG.jpg

[さんべ PS 10; 小型巡視船; 隠岐海上保安署]
sambeJCG.jpg

[こまゆき PC 221; 大型巡視艇; 香住海上保安署]
komayukiJCG.jpg

[あさぎり PC 223; 大型巡視艇; 福井海上保安署]
asagiriJCG.jpg

[巡視船 だいせん PLH 10 のブリッジの上 八管本部長]
bridge.jpg


[ヘリコプターと巡視船による救助訓練; ヘリは巡視船"だいせん"搭載のベル212型"こはくちょう"]
rescue.jpg


その他画像..

3.jpg

echizenJCG.jpg

10.jpg

2730635877_b5aa5b40ff_b.jpg

hotakaJCG.jpg

echizen2.jpg

hotaka.jpg

hotaka2.jpg

kiso.jpg

sambe2.jpg

mh617.jpg

[巡視船 だいせん PLH 10 のファンネル(煙突)]
funneldaisen.jpg

funnel2.jpg

[巡視船 だいせん の船橋]
bridge.jpg
[巡視船 だいせん のひき波]
wave.jpg
通常航行速度(18ノット程度)でも、それより速くても、巡視船の"ひき波"は大きなものではありません。

[だいせん PLH 10;ヘリ搭載大型巡視船; 舞鶴海上保安部; 舞鶴西港にて]
daisenJCG.jpg

daisen2.jpg

emerald.jpg


.
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ビーグル号の大西洋から太平洋への移動(ダーウィンの日記から;1834年5月12日から6月10日) [海と船]

ビーグル号の大西洋から太平洋への移動(ダーウィンの日記1834年5月12日から6月10日[11日])

ビーグル号は1831年から1836年までの航海で、基本的には測量に従事しつつ1834年5月までの主な時日を南米大西洋岸、および短期間ですが南米南端部の多数の島のあるティエラ・デル・フエゴで測量とその他の用事のために過ごしました。フォークランド諸島にも2回立ち寄っています。
ビーグル号が大西洋側での当面の測量を終え、大西洋側から太平洋に入る移動の時期は1834年5月12日から6月11日にかけてでした。経路は、マゼラン海峡東側の入り口から入り、途中でマゼラン海峡を南に離れて、その分枝ともいうべきまだ当時ほとんど船によっては通られてなかった水道を特に選んで、マゼラン海峡の西の出口よりずっと南側で太平洋に出るというものでした。
この間のダーウィンの日記には、例えば、ビーグル号側が、多くの場合は友好的に接してきた先住民と、ある理由で対峙した時にどのような処し方をしたのかということを示す記述があります。またそれを書くにあたって、ダーウィンが主観による偏見に陥ることの少ない観点でものを見ていることが分かる等興味深い点が多々あります。

[ダーウィンの日記]から..
(1834年5月)12日
[パタゴニア南部のサンタ・クルス河の河口から]外洋に出た。フォークランド諸島とマゼラン海峡の間にあると言われてきた岩礁(エグラ;Aigle)を探査するために舵を切ったが、そういうものは見つからず、16日に聖処女岬[注]の沖に投錨した。
[注]伝説の聖女ウルスラと彼女に従った処女たち(殉教者)に因んで名付けられた岬で、マゼラン海峡の東の入り口北岸にあります。マゼランが1520年に、この岬を回ってこの海峡に入った日が当時聖ウルスラの祝日だった10月21日なのでこの名前を付けたと、マゼランに同行したピガフェッタは書いています。結果としてこの海峡は彼が長いこと苦労して探し求めていた太平洋へ導く水路であったというわけです。

[地図]聖処女岬[緑色の矢印の方; 以下、全ての地図は縮尺・中心を変えて見ることができます。]..

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(このページの緯度・経度の数値はフィッツロイ艦長が記したものです。)

(1834年5月)16日
天候は悪く、寒くて荒れ模様だ(それにともない私は船酔いでみじめだ)。パタゴニアの海岸では常に乾燥した天候で空が晴れているのに、南に120海里[222.4km]の所では常に雲や雨、霰(あられ)、雪そして風があるということは、私の眼には驚くべきことだ。

(1832年5月)21日
これらの日々私たちは海峡[注]の入り口の周りをあちらこちら航行して、水深を測ったりいくつかの堆を調べていた(ひとつ危険なものが見つかった)。夜には投錨した。
[注]マゼラン海峡。

22日
日が差す前にアドヴェンチャー号[注]がフォークランドから航行してきたのが見えた。[東フォークランド諸島の]バークレー湾を私たちが離れた後に1隻の軍艦が入ってきてすべての囚人[*注]を乗せて行ったので今やその島はとても静かだとのことだ。私たちは[アドヴェンチャー号経由で]手紙を受け取った。私のは10月と11月の日付が入っていた。
[注]フィッツロイ艦長が前年3月にフォークランド諸島にて私費を投じて測量の補助のために購入した船。これまでのところはビーグル号とは大体は別行動で、主にフォークランド諸島の測量をしてきた。
[*注]ビーグル号がこの年1834年の早い時期にフォークランド諸島のバークレー湾に入港する前、そこでは社会状況に混乱があり、島外に連れて行かねばならない囚人が何人かいました。一時的にビーグル号に収容したこともあるので、ここで特に記しているのだと思われます。

私たちはあと2、3日もしたら、ポート・ファミン[注]へ向けての航行に最善を尽くすだろう。この日数は測量にとってはとても短いが、天候が、ありがたいことに[gracias a dios]この南の緯度にしてはとても良いのだ。こんな緯度で日の長さが最短である日[注:南半球の冬至]までわずか1ヶ月なのに温度が夏にくらべてほとんど感じ取れないくらいに寒い程度であるというのは、興味深い。私たちはみんな昨年来た時[南半球の夏]と同じ服装をしている。
[注]マゼラン海峡のなかほどにある地点。今のプンタ・アレナスよりもっと南にある。

(1832年5月)29日
私たちはグレゴリー湾に投錨して6日分の給水をした。我らが馴染みの友人であるインディアンたち[注]はいなかった。ここのところ天候はとても悪く、今はとても寒い。温度計は一日中氷点下を示していて、多くの雪が降った。これは船ではつらいことである。ここでは燃え盛る火はなく、雪の解けかかっている上甲板がいわば家の大広間なのである。
[注]マゼラン海峡より北のパタゴニアにいる先住民の一隊で、ここを通りかかる船と交易(物々交換)を時々していたようです。ダーウィンは海峡南方に住む先住民を"フエゴ人"と呼び、彼等と区別しています。ダーウィンが"フエゴ人"と呼ぶ人達はヤマナ族という名前でも知られます。

[天候]1834年5月29日正午の天候:
北の風、風力5、全天曇り、暗い、霧、気温摂氏0度、水温摂氏4.4度。

[地図]グレゴリー湾の岬..

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(1834年)6月1日
ポート・ファミンに着いた。これよりも元気のない景観というのを見たことがない。薄暗い林が雪でまだらになって、3分の2が雨、3分の1が霧からなっている大気を通してぼんやりと見えるだけだ。それ以外は、アイルランド人だってそのように言うだろうが、とても寒くて不快な空気だ。

昨日、ネグロ岬[注]の南へ進んでいる時、ふたりの男がこちらに呼びかけてきて船のあとを追ってきた。ボートが下ろされて彼等を収容した。彼等はアザラシ猟船から逃げ出した船乗りでパタゴニア人に混じっていた者たちであることが分かった。彼等はそのインディアンたちからはいつもの分け隔てない度量の広い親切を受けていたのであった。彼等は偶然にはぐれてしまい、海岸をなんらかの船を探しにこの場所まで歩いてきていたのであった。 多分彼等は役立たずのならずものだったのだろうが、私はこれよりみじめな者たちを見たことがなかった。彼等は何日もイガイ[日記では"Muscles"となってますが"mussel-shells"のことを意図していると思われます]等および海でとれる卵類[berrys[sic];冬だけれどあるいは草木の実という意味で書いているか]を食べて過ごし、日夜ここの所続いている雨や雪にずっとさらされていたのだ。人は耐えようとすれば何に耐えないということがあるだろうか!
[注]ネグロ岬の位置は、フィッツロイ艦長によれば、南緯52度56分40秒西経70度49分付近。なお"ネグロ(negro)"の語はスペイン語で単に"黒い"の意味の形容詞。


[天候]1834年6月1日正午の天候:
東北東の風、風力4、全天曇り、雲、雨、気温摂氏4.2度、水温摂氏5.6度。

[地図]ポート・ファミン 緑色の矢印..

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(1834年)6月2日から8日まで
アドヴェンチャー号が私たちに再合流した。この海峡[マゼラン海峡]のこの部分の東側を調査してきたのである。
この期間の多くの間はとても霧が深く寒かったのだが、観測が出来る晴れた日が2日あったのはとても幸運であった。このうちの1日、サルミエント山[注]の眺望がとても堂々としていた。ティエラ・デル・フエゴの情景において、見かけ上はあまり高いようでない山々が実際はとても高いということに私は驚いている。これは海がその基部にあるので山全体が見えるという理由によるのだと私は思う。その理由はほとんど誰も疑わないであろう。ビーグル水道を辿りつつあるひとつの山を見てきたあとで、ポンソンビー瀬戸でそれを、次々重なり合う多くの稜線越しに見た時のことを私は思い出す。このことによりその距離を知ったのだが、その距離においていかにそそり立って見えていたかということは興味深いことであった
[注]高さ2000mほどのこの山については後の日付での関連記事がありますので、そこのところで地図を示します。

フエゴ人たちが2回来て私たちを悩ませた。岸に多くの装置、衣服等がありまた人員もいたので、艦長は彼等を驚かせて立ち去らせることが必要だと考えた。一度、彼等が遠くに離れている時に大砲をうち鳴らした。望遠鏡を通して彼等の大胆な抵抗を見るのは面白かった。というのは水柱が立つと彼等は石を拾ってお返しに1海里半程離れたところにいる船に向かって投げるのであった。 これでは十分でないということで、1艘のボートが、マスケット銃弾を彼等に当たらないように撃てという命令のもとに出された。フエゴ人たちは木々の背後に隠れたが、マスケット[銃]が撃たれるたびに彼等は矢を放った。それらはボートに届かずに落ちた。士官が彼等を指差して大笑いするとフエゴ人たちは怒りでひどく興奮した(いわれのない攻撃にたいしては当然かもしれないが)。彼等は自分たちのマントを激情を込めて振った。ついには弾丸が木に当たってそれを傷つけるのを見て彼等は逃げ去った。ボートが彼等のカヌーや女たちを追うかのように装うと、彼等の逃亡は最終的に成し遂げられた。
湾に入った他の集団はその北にある小さな入江に簡単に追い払われた。翌日2艘のボートが彼等をさらに遠くに追い払うために送られた。4、5人の男が、その3倍の人数に対して自分たちを守るために前面に出てくるその決意のほどを見たが、賞賛すべきものであった。
[余白に]のろし、騒音、全くの静寂
彼等はボートを見ると、100ヤードこちらに向かって前進し、朽ちた木々でバリケードを準備し、慌ただしくその石投げ器のための石を拾った。マスケットが彼等に向けられるたびに、彼等は弓を向けてきた。彼等はひとりけが人が出たぐらいでは動きそうになかった。こんなわけだからこちらは退却した。

私たちは薪と水を一杯に補給した。ここの水は優れものである。ここのところ私たちが飲んでいた水はかなり塩を含んでいて、塩気がある[brackish]などというなまやさしいものではなかったのであった。些細な不愉快事のうちで水が塩を含んでいることほど悪い事はないのである。一杯の水を飲む時、薬のようで、そしてそれは渇きを癒さないのである。単に不純物が入っているとか、臭い水というのは、ほとんど問題ない。特に沸かしてお茶にすればそれは概してほとんど知覚されないものである。

(1834年)6月8日[注]
[注]フィッツロイ艦長の記録の内容によれば、ここはダーウィンの書いた日付が1日ずれていて9日のことであると思われます。

朝かなり早く抜錨した。艦長はマゼラン海峡をマグダレン水道を通って離れることを企図した。この水道はごく最近見つかったもので船によってはほとんど通られていない。風は順風だが、大気はとても重いので私たちはとても興味深い情景の多くを見る事が出来なかった。暗い不揃いな雲が山の上、その基部近くまで動いていた。そのぼんやりとした集まりを通してかいま見たものはとても面白いものだった。鋸歯状の先端、雪を冠った錐体、青い氷河、青ざめた空に対して印づけられた強い輪郭、といったものが様々の距離や高さのところに見えた。そのような情景のまっただ中、私たちはターン岬に投錨した。サルミエント山の近くであるがその時はそれは雲の中に隠れていた。
私たちのいる小さな入江の脇の高く、ほとんど垂直なところの基部にひとつの打ち捨てられた小屋掛け[wigwam]があり、ただそれだけが人がこの辺鄙な地域を時にはさまようのだという事を思い出させた。人がこれよりわずかの[存在の]主張やこれよりも小さな影響力を持つような情景というものを想像で描く事はほとんど出来ないことであろう。自然の無生物的作用[the inanimate works of nature]だけがここでは圧倒的な力で支配するのである。

[地図]ターン岬(ビーグル号はマゼラン海峡を離れて南下し、マグダレン水道を通り、9日の夜にこの岬の南で錨泊する)..

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[画像]サルミエント山(by C.Martens;同行した画家)..
1839_voyage_F10.2_fig20.jpg
(下の地図参照)

[地図] サルミエント山(2246 m)の位置(ターン岬の東南東方向の対岸)..

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(1834年)6月9日[注]
[注]ダーウィンの日付が1日ずれていて10日が正しいと思われます。

朝、霧のヴェールが次第に上がってサルミエント山が見えたので私たちは喜んだ。これら途方もない、静かな、ゆえに崇高な、世界がこのままである限りは決して融けることがないように運命づけられているかのような雪の山塊を見ることの楽しさを、私は叙述する事が出来ない。
雪原は頂上から基部に向かって高さ全体の8分の1以内の所まで延びており、基部は薄暗い森であった。雪の輪郭はとても素晴らしくくっきりしていて明確であった。あるいは実のことを言えば、陰が存在しないということにより輪郭はないのだが、それらが空に対しては知覚されるのでありそのように強く顕著となるのであった。いくつもの氷河が雪の堆積から曲がりくねって海へ下りていた。巨大な凍ったナイアガラに比されよう、そして多分これらの氷の大滝は氷の融けた動く水とまったく同様に美しいであろう。

夜までには[コックバーン]水道の西寄りの部分に着いた。投錨地を探したが見つからなかった。ここの島々は険しい海山のほんの頂上部分なのである。そのため私たちは、14時間の長く漆黒の夜を、岸から遠ざかったり近寄ったりしながら過ごさねばならなかった。それも狭い水道の中においてである。 一度私たちは岩礁にかなり近づいたのであった。この夜は艦長や士官たちにとって本当に心配なものであった。

[注釈] この時期は南半球では冬期であり、大陽の出ている時間はだいぶ短くなっています。参考までに、ビーグル号のこの位置での1834年6月10日の日の出、日の入り等は次のとおりです:
薄明開始07:37
日の出08:21
大陽子午線通過12:03(高度角北13度)
日の入り15:45
薄明終了16:29。
つまり日の出から日の入りまでの時間が7時間と24分で、さらに翌11日の薄明開始が7:31なので、この10日夜から11日の朝にかけての、薄明終了から薄明開始までの間の夜の暗い時間帯は15時間と2分に及んだことになります。さらに、この夜は月齢3.5ほどでしたので、夜半から明け方にかけてはまったく月明かりはなかったわけです。


(1834年)6月10日[注]
[注]正しい日付は11日であると思われます。

朝、アドヴェンチャー号と一緒に、私たちは大洋へ最良の経路を通って入った。西側の岸は概して低く、丸く、まったく不毛な花崗岩の丘から成り立っている。J.ナーバラフ卿がその一部を南デソレーションと呼んだのは、"見るからにそんなにも不毛な土地だからである"とは、もっともなことを言ったと思う。主な島々の外側には無数の岩礁があり、広い太平洋の長い波長のうねりがその上に絶え間なく砕け波を起こして怒っているようである。
私たちは"東フューリーズ"および"西フューリーズ"の間を通過した。少し北に行って艦長は砕け波の多さゆえにこの海域を"ミルキー・ウェイ"と呼んだ。このような海岸の光景を見れば、海に不慣れな者はゆうに1週間もの間、死や、危険や、難破の夢を見ることになる。

[地図]スカイリング山(コックバーン水道を通ったビーグル号は11日にこの山の南側を通り抜けて太平洋に出る)..

View Larger Map

[注釈] 東フュリーズはフィッツロイ艦長の記録では 南緯54度38分, 西経72度12分の位置にあります。スカイリング山の南を通り抜けてコックバーン水道の出口から行って、わずかに南に位置します。

[地図]11日日没時のビーグル号の概略位置(タワー・ロックス付近) 縮尺が小さめに設定してありますので適宜手動で大きくしてみてください..

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[天候]1834年6月11日正午の天候:
北の風、風力5、全天曇り、暗い、霧、驟雨、気温摂氏6.7度、水温摂氏8.1度。


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マゼランとダーウィンの接点(?) [海と船]

マゼランとダーウィンの接点(?)

フェルディナンド・マゼランはポルトガルの人でしたがスペイン王との契約のもとに1519年に5隻の船でスペインの港を出発し、まだ記録においては誰も成し遂げたことのなかった世界一周に乗り出し、大西洋を横断し、試行錯誤の後、今の"マゼラン海峡"を通って太平洋に出ました。マゼラン自身は途中亡くなりますが船隊のうちの1隻ビクトリア号が1522年にスペインに帰り着き世界一周を完成させました。

マゼランが大西洋から太平洋に越えるにあたって、通過可能な水路があるかどうかが一般には知られておらず、またそのような水路があるということが仮にマゼランにはなんらかの資料によって分かっていたとしても、その位置は知られていませんでした。そのため、マゼランは太平洋への入り口と思われたラプラタ河の探索に時間と労力を費やしましたが言うまでもなく無駄でした。

その後さらにマゼランは南米大陸沿いに南下を続け、1520年の3月末にサン・フリアン湾に入ります。ここは実は後に"マゼラン海峡"と呼ばれるようになる海峡の入り口にすぐ近い場所でした(200海里弱の距離)。マゼランはその年の(南半球における)冬をこのサン・フリアン湾というあまり良質の水のないところで8月の24日まで5ヶ月間を無駄に過ごします。ここに到着してすぐには大規模な反乱が起き、マゼランはかなり過酷な対処をすることになりますが、反乱そのものは短期間で収束します。

[地図]サン・フリアンの湾..

縮尺は適宜変えて下さい

それから約300年の後、チャールズ・ダーウィンは若い時に測量船ビーグル号に乗る無給の博物学者(naturalist;自然史学者;船では定員外)として英国海軍に採用されて、1831年から1836年にかけて主に南半球を通って世界を一周しました。特に南米大陸およびその周辺に長いこと留まっていました。ビーグル号の航海は測量が目的でしたので同じ場所を何度も行き来することは珍しくありませんでした。そういうことで南米大陸沿いの巡航(cruising)にかなりの長時間をかけているわけです。

さて、1834年1月9日から19日まで、ビーグル号はマゼランが5ヶ月を過ごしたサン・フリアンの湾に停泊します。その間スペイン人の古地図を手がかりに水を探しに出かけた一隊が水を得られず、フィッツロイ艦長までもがその探査行の途中で一時脱水症で倒れるという事態に立ち至ったということがありました[注]
[注]ダーウィンもその隊の中にいて元気に活躍し、その日は特に彼は体調に問題はなかったのですが、翌日から2日間熱を出して起き上がれなかったと書いてます。水の豊富な日本では脱水症というのは不注意が原因だったりするものですが、パタゴニアのような乾燥して荒涼とした土地ではなかば不可抗力のような場合もあるのでしょう。

さて、ダーウィンはここで博物学観察に出かけており、日記の中に次のような記述をしています..

[ダーウィンの日記1834年1月14日の記事から]..
私の説明出来ないものがふたつ見つかった。低地にレンガで出来た大きなスペインのかまがある。丘の上に小さな木で出来た十字架があった。 これらがどのような昔の航海者たちの遺物なのかよくわからない。 マゼランはここに来た。そして何人かの反逆者を処刑した。またドレイクも同様のことをしてここの島を"true justice (真の正義)"と呼んだ。

マゼランとともに出発しつつ、最後まで生き延びて世界を初めて一周し、そのことについての記述をなしたピガフェッタによれば、マゼランはこのサン・フリアンの湾において近くの高い丘に"大きな"十字架を立てて[注]、この地がスペイン王に帰属することを示したとあります。ダーウィンは"小さな"木の十字架を見つけているわけですが、大きいか小さいかは主観の問題であり、ピガフェッタはたとえば身長182~3cm程度のパタゴニア人を"巨人"と呼ぶなどのやや誇張気味の事を書くことがあるのに対し(当時としてはそう書きたくなる気分は分かるのですが)、ダーウィンは博物学者として誇張はしないということを考慮し、さらに木造建築というものも長持ちするものであるという私たちの経験から言って、ダーウィンの見たのはマゼランの立てた十字架であったということは十分ありえることかと思います。つまり1520年に立てられた木の十字架を1834年に見ることが出来ると考えるのは無理ではないということです。
[注]岩波書店の「大航海時代叢書」に収録されているピガフェッタの記録の邦訳には"大きな"の語はありません。私がここで参照しているテキストは1874年出版の英訳版です。
ダーウィン自身はそれがマゼランの立てた十字架であるかどうかについては推測を控えていますが[注]、私の場合はこれはあるいはマゼランとダーウィンの目に見える形での物的接点だったのでないかと想像してみたりします。
[注]ダーウィンがピガフェッタの叙述(原文はフランス語およびイタリア語で書かれていて当時おそらく英訳はまだ出ていない)を読んでいなければマゼランの立てた十字架のことに考えが及ばなくても不思議ではありません。

[画像]サン・フリアン湾に入るビーグル号..
1839_voyage_F10.2_fig10.jpg
ビーグル号に乗船していた画家C.Martensの素描に基づく版画

[トリヴィア(些事)] 「世界を一周する」はスペイン語では"dar la vuelta al mundo" (直訳すれば 「世界にその一回りを与える」)。
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灯台、朝日、富士山.. [海と船]

1月4日 午前6時40分~午前7時頃 御前崎沖..

a) 富士山と御前崎灯台の光(日の出直前)

b) 日の出直後、太陽光の反射(こちらは灯台ではありません)と富士山

c) 日の出直後、海の上の太陽

撮影地点付近の地図..

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