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ダーウィンの日記1832年8月19日と20日 [ダーウィンが行く]

ダーウィンの日記(ラ・プラタ河口から南方への巡航に出発)

[日記仮訳]
日曜日(1832年8月)19日
午前中北西からの強い風があった。この向きの風[注]は河の水位をすぐに下げてしまう。昨夜は船尾で水深18フィート[5.49m]あったのが、朝にはわずか13フィート[3.96m]だった。そのため、今日中に出発することを企図してはいるがそれとは別に、錨地を移しておくのが良いということになった[*注]
[注]河の流路に沿う向きの風。
[*注]ビーグル号の吃水は12.5フィート(3.8m)。

錨を抜いた途端に、私たちは風のために古い難破船を示す浮標から数ヤード以内の所に吹き流された。これは水兵たちの働きを見守る時であった。1本でも綱がもつれれば座礁したに違いない。町にいる[別の船の]水夫たちは"A Dios barca inglese[sic], A Dios[西](さらば、英国船、さらばだ)"と言っていた。商船だったらまったく無事ではすまされなかったことであろう。しかしこちらの人員にとってこれは単に出帆し船出する2度目の日曜日[注]の作業に過ぎないのであった。私にとっては強い風の風下に岸がある時の操船の[様子を見るという]最初の事例であった。
午前中私たちはずっとタッキングして天候が落ち着くのを待ち、ようやく再び投錨した。
[注]この出帆日8月19日は日曜日ですが、先にも3月18日の日曜日にバイアからビーグル号は出帆しているので、今回は2度目の日曜日の出帆ということになります。要するに、操船自体には特に変わったことはなく、あえて取り上げて言うほどのことがあるとすれば日曜日の出発だったということぐらいだ、の意。

午後に私はいくつかの小包や私の集めた標本の箱を郵便船に送った。ボートが岸から帰り着いてからすぐに私たちは出帆した。順風が私たちを、昨夜投錨していたマウント[注]から40海里[74.13km]も運んでくれた。ラ・プラタにおけるような浅い水域では海面はとても無愛想で、こんなにも水しぶきがビーグル号に降り掛かるのを見るのは初めてで、これより不快な胃の感覚を感ずるのはあまりなかったことだ。
[注]下の画像参照。

20日
午後に河の南岸にあるピエドラ岬[注]から8海里[14.83km]のところに投錨した。この距離において水深わずか18フィート[5.49m]であった。
[注]下の地図2参照。

艦長は、当面のところは海岸の主要地点[の位置]を確かめることを企図している。陸地のスペイン人たちがすでに細部を書き入れているわけだし、船が近づけずほとんど人も住まない海岸の細々(こまごま)とした情報にはそれほど大きな価値はないだろうというわけだ。

[天候]
1832年8月19日(出帆の日)正午の天候:
北北西の風、風力5、青空、雲、スコール、気温華氏52.5度(摂氏11.4度)。

[画像]モンテビデオの湾のすぐ外側から見る"マウント"(高さ134mほどなので、24海里よりも離れた場合は海面近くからではもう見えません)..
08v.jpg
C.Martens. 1833.08.

以下の地図表示におけるマップポインターについての一般的注意(2009年9月27日に付記): この一連のブログ記事において、緑色のマップポインターが筆者(ブログ作成者)の意図する地点を指しているものです。"A"の表示を持つマップポインターはGoogle Mapsのソフトウェアの仕様により自動的に付加されるもので筆者の意図によるものではありません。
もともとはこのブログを書いている初期の段階では"A"の印を持つマップポインターを筆者の意図する地点を表示するために使用していました。その後2009年半ば近くになりGoogle Mapsのソフトウェアの仕様が変化して、 自動的に"A"と表示されるマップポインターがその図において代表的な地点(ブログ作成者の意図とは無関係)を示すものとして付加されるものとなり、筆者が意図する地点(初期に"A"で表していたもの)は緑色のマップポインターが指し示すという形に自動的に切り変わっております。この場合"A"の地点は一般には記事とは無関係なものとなっています。(ただし、たまたま"A"の地点と筆者の意図する地点がほぼ一致しているという場合もあります。)
ブログ記事アーカイヴにおいて気の付く限りマップポインターへの言及を現在修正しつつありますが、まだ全てには手が回りかねますので、もし過去記事をお読みになる労を厭わない方がおいででしたら、その場合は各記事の地図表示のマップポインターに留意されたく思います。念のために繰り返しますと、まれに"A"のマップポインターがたまたま意図するものに一致する場合もありますが、原則としてのマップポインターが筆者の意図するものです。

[地図]1832年8月20日(出帆の翌日)正午のビーグル号の位置..

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[地図2]ピエドラ岬の位置..

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この緯度・経度はフィッツロイ艦長の示したものではなく、現行のWGS84の座標系で表示されたものです。
数値の出典: http://www.fallingrain.com/world/AR/1/Pareje_Punta_Piedras.html


[日記原文]
Sunday 19th
In the morning there was a fresh breeze from the NW. — A wind in this direction soon emptys the river. at night we had 18 feet under our stern, in the morning only 13. From this cause, independently of intending to sail in the course of the day, it was advisable to move our anchorage. —

The instant we had tripped our anchor the wind drifted us within a few yards of the buoy which marks the old wreck. Then is the time to watch sailors working: one foul rope & we should have been on shore. — The sailors in the city were saying, A dios Barca Inglese, A Dios. — A merchant ship certainly would have had no chance of escaping: but with our body of men it is the work of a second Sunday to set sail & get way on the ship. This has been for me the first specimen of working off a lee-shore with a stiff breeze blowing. —
During the morning we tacked about, waiting for the weather to moderate & at last again anchored. — In the afternoon we sent on board the Packet some parcels &c & my box of specimens, & the boats returning from shore, we made sail. — A fine breeze carried us 40 miles from the Mount, where we anchored for the night. — In such shoal water as in the Plata the sea is very short; I have never seen so much spray break over the Beagle & I have not often felt a more disagreeable sensation in my stomach. —

20th
In the afternoon we anchored 8 miles off Point Piedras on the Southern shore of the river. — At this distance there were only 18 feet water. — The Captain intends at present verifying the leading points in the coast. — The Spaniards on shore having already filled up the details. — Any minute knowledge of an almost uninhabited coast where shipping cannot approach, will never be of any great value. —

["ダーウィンが行く"について]
このシリーズで扱っているのはダーウィンがビーグル号に乗っている時の日記です。訳文は私的な研究目的に供するだけの仮のものです。普通は全文を訳しますが日によっては原文全文と注釈または抄訳だけにとどめる場合もあります。抄訳の時はその旨を明示します。
[日記原典]
"Charles Darwin's Beagle Diary" ed. by R.D.Keynes, Cambridge U.P., 1988.

ダーウィンの日記全体の冒頭部はこのブログでは次のページにあります..
http://kozuchi.blog.so-net.ne.jp/2006-10-23


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春分

いつのまにか、記事の日付が実時間の日付から進んでましたね。
by 春分 (2008-08-10 14:39) 

さとふみ

必ずしも日付の対応にこだわらず、何日分かまとめて読みやすくしようかと考えています。
by さとふみ (2008-08-10 16:21) 

thaler

暑いですね。残暑見舞いもうしあげます。

by thaler (2008-08-11 10:54) 

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