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お知らせ [ダーウィンが行く]


[お知らせ]このブログ("さとふみのブログ")において"ダーウィンが行く"のカテゴリーとしてこれまで取り扱っていたダーウィンの日記については下記の通りになってます。これによりブログ内容の統一を図るのがねらいです:

1) ダーウィンの日記の前書き、および本文1831年10月24日から1832年9月14日付けまでの各々の記事については、アーカイヴとして
左の"リンク集"の「だーうぃんのにっき(I; アーカイヴ)」に、そして、

2) ダーウィンの日記の1832年9月15日以後1834年12月31日までの分は
左の"リンク集"の「だーうぃんのにっき(II; アーカイヴ)」に置いています..

3) そしてダーウィンの日記の1835年1月1日以後の分は
左の"リンク集"の「だーうぃんのにっき(III; アーカイヴ)」

で読みます。
もしご関心をお持ちでしたら、ご覧いただければ幸甚です。


さて、こちらの "さとふみのブログ" の方は、時に応じての更新となります。音楽を中心とすることになりますが、雑多な話題での内容です。 どうぞ今後ともよろしくお願いいたします。

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ダーウィンの日記1832年9月14日 [ダーウィンが行く]

 
ダーウィンの日記(バイア・ブランカ)

[日記仮訳]

(1832年9月)14日

パタゴニアでの9月を、私が英国にいるのとすっかり同じ仕方で過ごしている。つまり狩猟だ。しかしこの場合は船の仲間に新鮮な食料を提供していることを知るという余分の満足感がある。
今日、もう1頭のシカとアグーチまたはテンジクネズミを仕留めた。後者は20ポンド[トロイポンド;7.5kg]よりも重くて、私が味わったうちでも最良の肉を持っていた。

銃で狩りをしながら私は内陸に何マイルか入って行った。土地の一般的な特徴は同じようであり波打つ砂の平野が粗い草本植物によって覆われていて、これはさらに広がるにつれてより平坦になるのである。いくつかの谷の底はクローヴァーで緑になっている。これらを注意深くかき分けて覗きながら獲物を撃つのである。
もしシカがヒトが直立していないと見ると、それはそのヒトが何ものであるかを知りたいという飽くことなき好奇心を持つのであり、そういうことに乗じて、私はそれらが驚いて逃げないうちに何度か銃を撃ったのであった。

[画像]アグーチ(agouti;rodent)..
agouti.jpg
出典: Agouti (Dasyprocta).

[天候]
1832年9月14日正午の天候:
風力0、青空、雲、気温摂氏13.3度、水温摂氏11.1度。

[日記原文]
14th
I am spending September in Patagonia, much in the same manner as I should in England, viz in shooting; in this case however there is the extra satisfaction of knowing that one gives fresh provisions to the ships company. —
To day I shot another deer & an Agouti or Cavy. — The latter weighs more than 20 pounds; & affords the very best meat I ever tasted. — Whilst shooting I walked several miles within the interior; the general features of the country remain the same, an undulating sandy plain covered with coarse herbage, & this which as it extends, gradually becomes more level. — The bottoms of some of the vallies are green with clover: it is by cautiously crawling so as to peep into these that the game is shot. —
If a deer has not seen you stand upright; generally it is possessed with an insatiable curiosity to find out what you are; & to such an extent that I have fired several times without frightening it away. —

ダーウィンの日記のこの後の1832年9月15日以後の分は、私の次のブログ:
http://fumisalt.blog.so-net.ne.jp/ (トップページ)
http://fumisalt.blog.so-net.ne.jp/1832-09-15 (冒頭部:すなわち1832年9月15日の日記記事)
にて引き続き読みます。




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ダーウィンの日記1832年9月12日と13日 [ダーウィンが行く]


ダーウィンの日記(バイア・ブランカ)

[日記仮訳]

(1832年9月)12日

ウィッカム氏[ビーグル号の副長]とともにライフルでの狩りに出かけた。嬉しいことに私は素晴らしい雌雄のシカを撃つことが出来た。艦長の世話係はもう3頭撃った。私たちはボートの漕ぎ手にそれらを岸辺まで運んでもらわねばならなかった。ところで私の仕留めたもののうちのひとつを前もって処理しておいた。私はその大きな動物を地面に置いていたのだが、夕方にはハゲワシやタカが突いて骨までもきれいにしてあった。

私たちが散歩している間、ダチョウ[レア]の巣も見つけたのだが、そこには卵はたったひとつしかなかった。

13日

船の錨地を湾の奥に2、3海里移した。新しく見つけた水場にもっと近づくためである。ここに数週間留まることになろう。今の晴れた乾いた天候が続くなら、この期間はとても心地よく過ごせるだろう。

[天候]
1832年9月13日正午の天候:
南東の風、風力5、青空、気温摂氏12.5度、水温摂氏11.1度。

[地図]バイア・ブランカの湾 ビーグル号はこの北岸に停泊..

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[画像]バイア・ブランカ..
2071092.jpg
出典: http://www.panoramio.com/photo/2071092

[日記原文]
12th
Went out shooting with Mr Wickham with our rifles: — to my great delight I succeeded in shooting a fine buck & doe. — The Captains servant shot three more. — We were obliged to send a boats crew to carry them to the shore. — One of mine however was previously disposed of. — I left it on the ground a substantial beast, but in the evening the Vultures & hawks had picked even the bones clean. — In our walk I found also an Ostriches nest; it contained only one egg. —

13th
The ships anchorage was removed a few miles up the harbor; in order to be nearer a newly discovered watering place. — Here we shall remain some weeks; if the present clear dry weather lasts, the time will pass very pleasantly. —

["ダーウィンが行く"について]
このシリーズで扱っているのはダーウィンがビーグル号に乗っている時の日記です。訳文は私的な研究目的に供するだけの仮のものです。普通は全文を訳しますが日によっては原文全文と注釈または抄訳だけにとどめる場合もあります。抄訳の時はその旨を明示します。
[日記原典] "Charles Darwin's Beagle Diary" ed. by R.D.Keynes, Cambridge U.P., 1988.



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ダーウィンの日記1832年9月11日 [ダーウィンが行く]


ダーウィンの日記(バイア・ブランカ)

[日記仮訳]
(1832年9月)11日
私たちのスペイン人の友人に私たちが海賊ではないことを分かってもらったので、艦長は2艘のボートを伴って[スペイン人の]居住地に出発した。
ほとんど全員が岸で働いていたので船の方はいつにない程の静けさで楽しかった。

[天候]
1832年9月11日正午の天候:
北西の風、風力4、全天曇り、暗い、スコール、気温摂氏12.8度、水温摂氏11.1度。

[地図]スペイン人居住地および砦の位置..

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[参考画像]バイアブランカの海岸..
2071122.jpg
出典: http://www.panoramio.com/photo/2071122

[日記原文]
11th
Having proved to our Spanish friends that we were not Pirates, the Captain with two boats started for the Settlement. — Nearly all the men were employed on
shore; so that the ship was left in as unusual as delightful a state of quietness.

["ダーウィンが行く"について]
このシリーズで扱っているのはダーウィンがビーグル号に乗っている時の日記です。訳文は私的な研究目的に供するだけの仮のものです。普通は全文を訳しますが日によっては原文全文と注釈または抄訳だけにとどめる場合もあります。抄訳の時はその旨を明示します。
[日記原典] "Charles Darwin's Beagle Diary" ed. by R.D.Keynes, Cambridge U.P., 1988.



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ダーウィンの日記1832年9月9日と10日 [ダーウィンが行く]

ダーウィンの日記(バイア・ブランカ)

[日記仮訳]

日曜日(1832年9月)9日

午前中礼拝式が下甲板で行われた。食事の後、士官たちの大勢の隊が岸にこの地帯を見に上がった。浜辺からの初めの2海里[3.7km]は粗い草本類で厚く覆われた砂の小丘の連続である。それからパンパとなり、それが多くの距離続き、遠くにシエラ・デ・ベンタナ[山脈]がある。それは私が思うに高いであろう山々の連鎖である。地面にはあらゆる方向にダチョウやシカの足跡がついている。後者の大きなのが私の近くで飛び跳ねた。こういったものを除けば他の動物の上には死が支配的であるように見える。私は、こんなにも全く生きた動物を欠いている場所をこれまで見た事がない。

10日

今日は総員が忙しく働いた。ある者は測量をし、ある者は水を求めて井戸を掘り、そして他の者は燃料とするために古い難破船を切り刻んだ。私はライフルを持って長い散歩をしたが、何もしとめたものはない。私はいくらかのシカとダチョウ[注]を見た。後者は奇妙な低い音をたてた。またアグーチ、あるいはパンパのウサギ[*注]、の繁殖場所を見つけた。これは英国のウサギ2頭分ほどの大きさだがその習性はウサギに似ている。
[注]レア(Rhea)。
[*注]アグーチは現在ではネズミ目の動物とされています。

夕方、スクーナー商船が居住地から到着した。それにリオ・ネグロに行くことになっているハリス氏が乗っていて、また[7日に居住地にて]私たちを客として受け入れてくれたスペイン人でこちらが招待した人も同乗していた。ハリス氏が言うには[砦の]少佐の恐れはいまだ収まってはいないので[注]そこの人達は敢てこちらに訪ねて来る者は誰もいないとのことであった。もちろん私たちの客人を別としてのことだが。
[注]スペイン人居住地の砦の少佐がビーグル号の一隊を砦を攻撃するための偵察隊だと思ったらしいこと、そして彼がフィッツロイ艦長やダーウィンの一行を歓迎しなかったことは7日付けの日記に記されています。

スクーナーが出発した時、ロウレット氏[パーサー]がそれに同行した。リオ・ネグロで船[ビーグル号]のために新鮮な補給品を獲得することが出来るようにするためである。

[天候]
1832年9月9日正午の天候:
西の風、風力2、全天曇り、暗い、驟雨、気温摂氏10.3度、水温摂氏10.8度。

1832年9月10日正午の天候:
西の風、風力2、青空、雲、気温摂氏11.7度、水温摂氏11.1度。

[地図]ビーグル号が停泊していた地点("Wells—Anchorstock Hill")の位置概略..

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[日記原文]
Sunday 9th
In the morning divine service was read on the lower deck. — After dinner a large party of officers went on shore to see the country. — For the first two miles from the beach, it is a succession of sand hillocks thickly covered with coarse herbage; then comes the Pampas, which extend for many miles & in the distance is the Sierra de Ventana, a chain of mountains which we imagine to be lofty. — The ground was in every direction tracked by the Ostriches & deer. — One large one of the latter bounded up close to me. — Excepting these, death appeared to reign over all other animals. — I never saw any place before so entirely destitute of living creatures.

10th
All hands have been busily employed to day; some surveying: some digging a well for water & others cutting up an old wreck for fire wood. — I took a long walk with a rifle, but did not succeed in shooting anything. I saw some deer & Ostriches, the latter made an odd deep noise; I also found a warren of the Agouti, or hare of the Pampas; it is about the size of two English ones, but in its habits resembles a rabbit. —

In the evening the merchant Schooner arrived from the Settlement; bringing with it Mr Harris, bound for Rio Negro; & our Spanish host who was invited to pay us a visit. — Mr Harris tells us that the Majors fears are not yet quieted, & that no one in the place, excepting our host, would venture to pay us a visit. —

When the schooner sailed, Mr Rowlett accompanied her, in order at Rio Negro to try to procure fresh provisions for the ship. —


["ダーウィンが行く"について]
このシリーズで扱っているのはダーウィンがビーグル号に乗っている時の日記です。訳文は私的な研究目的に供するだけの仮のものです。普通は全文を訳しますが日によっては原文全文と注釈または抄訳だけにとどめる場合もあります。抄訳の時はその旨を明示します。
[日記原典] "Charles Darwin's Beagle Diary" ed. by R.D.Keynes, Cambridge U.P., 1988.

ダーウィンの日記全体の冒頭部はこのブログでは次のページにあります..
http://kozuchi.blog.so-net.ne.jp/2006-10-23


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ダーウィンの日記1832年9月8日 [ダーウィンが行く]


ダーウィンの日記(バイア・ブランカ)

[日記仮訳]
(1832年9月)8日

[前夜泊まった砦を出て]朝早くボートまでウマに乗って行き、強めの風のもと、昼半ばまでには船に着いた。すると、ウマに乗った2人の男が船を偵察していたとの報告が艦長に対してあった。艦長はスペイン人の場合はそれほど小さな隊で敢てここまで来る事はないだろうと知っているから、それはインディアン[原文 "Indians"; 先住民]であろうとの結論になった。この地点の近くで薪や水を補給するつもりでいたので、そこになんらかの[先住民の]宿営地があるのかどうかを確認する事が必要となった。かくて3艘のボートに人員が乗って武装して進んだところ、岸に着く前に5人の男がウマを全速力で丘に沿って飛ばして走り、それから止まった。
艦長はこれを見て[自分の乗っているボート以外の]他の2艘を[船に]戻した。これは彼等と闘うのではなく彼等が何者なのかを知りたいということを欲してのことである。私たちが近づくと男たちはウマから下りて岸に近づいた。彼等がバイア・ブランカの騎兵の一隊であることが私たちにはすぐ分かった。上陸して彼等と話をしたところ、彼等はインディアンを捜すために送られたのだとのことだった。これはある程度は本当のことである。というのは私たちも焚き火の跡を見たからである。だが彼等の現在の目的は私たちを監視するためであることは明らかだ。これがいっそう蓋然的であるのはその隊の将校が常に見えない所にいたことから分かる。艦長は、彼等がそのように疑い深いのを非難したが、彼等はそんなことはないと言った。

ガウチョ[この付近の牧童の総称]たちはとても親切で、水のいくらかでもあり得る唯一の地点まで私たちを連れて行ってくれた。これらの頑丈な人々が遠征用の完全装備をしているのを見るのは興味深かった。彼等はいつでも地面上にそのまま眠る。彼等が旅をする時には食物を獲るのであるが、彼等はすでにピューマつまりライオンを仕留めていたのであった。その舌だけが彼等が保持していた部分であった。またダチョウも捕まえていた。これを彼等は2つの重い球が長い紐の端にくくり着けられたものでとらえるのである。彼等はそれの投げ方を示してくれた。ひとつの球を手に持って次第次第に他の方を回し続けて、それから大きな力で任意の対象に向けて空中でそれらが回転しながら進むように送り出すのである。もちろんそれが動物の脚に当たるやいなやそれを十分に縛り上げることになるのである。
彼等はダチョウの卵をくれた。私たちと分かれる前に彼等は24個の大きな卵のあるもうひとつの巣あるいは置き場所を見つけたのであった。多くの雌のダチョウが同じ場所に卵を生むのは疑いない事実であり、かくてこうした集積場所が形成されるのである。
私たちの友人にいくらかのドル[注]を与えると、彼等はとてもほがらかに私たちから去り、そしていつか生け捕りのライオンを持って来ると確約したのであった[*注]。私たちは船上に帰った。
[注]スペイン・ドルと呼ばれる銀貨。
[*注]この記述についてはこのちょうど1ヵ月後(10月8日)の記事でまたふり返る機会があります。


ここ2日の間に艦長は今後の航海に実質的に影響を及ぼすであろう計画を作成した。ハリス氏はアザラシ猟に従事する2隻のスクーナー船に関係しており、それは今リオ・ネグロ[注]にいる。彼と他の船長は隣接する海岸に精通している。艦長はこれは彼等を月払いで雇う好機であると考え、各々の船に士官を送り込んでこの込み入った海岸を測量させ、その間ビーグル号は(いったんモンテビデオにもどってから)南に向かうことにすることを意図したのである。このようにすれば[南米大陸の]東海岸に費やす時間はかなり短縮されてすべての人々にとって喜ばれるであろう。ハリス氏にはすぐさまリオ・ネグロに行ってもらい、その船をこちらに移してから、その後私たちはラプラタ河[*注]に戻るであろう。
[注]現在ビーグル号のいるバイア・ブランカの南方、北部パタゴニアの一画にある。
[*注]この場合は主にモンテビデオのこと。


[地図]ビーグル号が停泊していた地点("Wells—Anchorstock Hill")の位置概略..

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[日記原文]
8th
We rode to the boat early in the morning; & with a fresh breeze arrived at the ship by the middle of the day. — It was then reported to the Captain that two men on horseback had been reconnoitring the ship. The Captain well knowing that so small a party of Spaniards would not venture so far, concluded they were Indians. — As we intended to wood & water near to that spot it was absolutely necessary for us to ascertain whether there was any camp there. — Accordingly three boats were manned & armed; before reaching the shore, we saw five men gallop along the hill & then halt. The Captain upon seeing this sent back the other two boats, wishing not to frighten them but to find out who they were. — When we came close, the men dismounted & approached the beach, we immediately then saw it was a party of cavalry from Baia Blanca. — After landing & conversing with them, they told us they had been sent down to look after the Indians; this to a certain degree was true, for we found marks of a fire; but their present purpose evidently was to watch us; this is the more probable as the officer of the party steadily kept out of sight, the Captain having taxed them with being so suspicious; which they denied. — The Gauchos were very civil & took us to the only spot where there was any chance of water. — It was interesting seeing these hardy people fully equipped for an expedition. — They sleep on the bare ground at all times & as they travel get their food; already they had killed a Puma or Lion; the tongue of which was the only part they kept; also an Ostrich, these they catch by two heavy balls, fastened to the ends of a long thong. — They showed us the manner of throwing it; holding one ball in their hands, by degrees they whirl the other round & round, & then with great force send them both revolving in the air towards any object. — Of course the instant it strikes an animals legs it fairly ties them together. — They gave us an Ostrich egg & before we left them, they found another nest or rather depositary in which were 24 of the great eggs. — It is an undoubted fact that many female Ostriches lay in the same spot, thus forming one of these collections.

Having given our friends some dollars, they left us in high good humor & assured us they would some day bring a live Lion. — We then returned on board. —

During the last two days the Captain has formed a plan which will materially affect the rest of our voyage. — Mr Harris is connected with two small Schooners employed in sealing & now at Rio Negro. He & the other Captain is well ackquainted[sic] with the adjoining coast. The Captain thought this so fine an opportunity that he has hired them both by the Month & intends sending officers in each who will survey this intricate coast whilst the Beagle (after returning to M Video) will proceed to the South. — By this means the time spent on the Eastern coast will be much shorter & this is hailed with joy by everybody. — Mr Harris will immediately go to Rio Negro to bring the vessels & soon after that we shall return to the Rio Plata.

["ダーウィンが行く"について]
このシリーズで扱っているのはダーウィンがビーグル号に乗っている時の日記です。訳文は私的な研究目的に供するだけの仮のものです。普通は全文を訳しますが日によっては原文全文と注釈または抄訳だけにとどめる場合もあります。抄訳の時はその旨を明示します。
[日記原典] "Charles Darwin's Beagle Diary" ed. by R.D.Keynes, Cambridge U.P., 1988.

ダーウィンの日記全体の冒頭部はこのブログでは次のページにあります..
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ダーウィンの日記1832年9月7日(その2) [ダーウィンが行く]


ダーウィンの日記(バイア・ブランカ)

[日記仮訳]
(1832年9月)7日(続) [後半]

夕方、居住地[スペイン人入植地]から大体4海里[7.4km]ほど離れた入り江に着いた。小さなスクーナー船が1隻いて、堤には泥の小屋が1軒あった。何人かの野性的なガウチョの騎兵が私たちが上陸するのを見守っていて、私がこれまで見たうちで最も野性味のある奇抜な集団をなしていた。その衣服によって私はトルコ人に囲まれたかと想像することさえ出来たろう。その腰には明るい色の肩掛けがスカートとなり、その下にふさ飾りのついたズロースをはいていた。彼等のブーツはとても特異で、ウマの後ろ足の飛節の皮革から作られていてそれ自体が湾曲のある筒なのである。これを生の状態で履いてそれが彼等の足で乾くと後は決して外さないのである。拍車は巨大で、その歯車は1から2インチ[2.54~5.08cm]の長さがある。彼等は全員がポンチョ、つまり真ん中に頭を通す穴の開いている大きな肩掛け、を着ている。サーベルと短いマスケット[銃]を持って、力強いウマに乗っている。
その着ているものよりも、人間自体がずっと注目に値する。多くはなかばスペイン人なかばインディアンであり、いくらかの人は単民族出で、幾人かは黒人である。インディアンは、ウシの骨をかじっている時、まったくのところ半ば呼び返された野獣のように見える。どんな画家もかくも野性味のある表現の組み合わせを想像した事はなかったろう。

夕闇が迫っていたので、夜船に戻る事はしないことに決定された。そういうわけで、私たちは全員、[馬上の]ガウチョの背後に乗り、砦に向かって抑え気味のギャロップ[hand gallop]を開始したのであった。

ここでの受け入れは心のこもったものではなかった。司令官は礼儀正い性格だった。少佐は階級においては次位であるが最も実力があるようだった。彼は年配のスペイン人で嫉妬のくすんだ感覚を持っていた。彼は軍艦が初めて港に入った事による驚きと心配を抑える事が出来なかったのだ。彼はこちらの兵力等々について際限のない質問を行った。そして、艦長が、湾を讃えて、彼は戦列艦をさえ繰り出せると言ったので[注]、かの年配の紳士は驚き、その心の目に英国の海兵隊がその砦を取るのを見たのであった。この滑稽な疑いは私たちにとってかなり不快なものとなった。それで艦長は翌朝早くビーグル号に帰る事に決めたのである。
[注]会話の具体的進行は分かりませんが、あるいはこれは執拗な詮索に対してうんざりしたフィッツロイ艦長によるある種の挑発的言辞かと思われます。一種のユーモア。これに続けてのダーウィンの叙述はこのスペイン人少佐が愚直にもそれを真に受けた様(さま)を表しているのでしょう。

居住地[スペイン人入植地]は全く平坦な芝地にあり、大体400人の住民がいるが、その多くは兵士である。この場所は要塞化されているのだが、そうする理由があるのだ。ここは何度も多くの数のインディアンによって攻撃されているのである。その戦争はもっとも野蛮なやりかたで行われている。インディアンは彼等の捕虜全てを拷問にかけ、スペイン人のほうは銃殺するのである。
ちょうど1週間前、スペイン人が、その[先住民の]主要な部隊が北方に行ったということを聞き、遠征を行ってウマの大群と何人かの捕虜を捕えた。その中に主席の族長である老トリアーノもいた。彼は長年にわたって広い地区を取り仕切って来たのである。捕虜にする時、ふたりの下位の族長またはカシケ[Caciques]が相次いでやって来て解放のための取り決めをしようとした。スペイン人にとってはどちらでも同じ事で、これらの3人およびさらに8人は連れ出されて射殺されたのであった。
他方、司令官の息子がその後捕えられ、縛られ、(聞いたこともない念入りな残酷さだが)子供が連れて来られて爪と小型ナイフで彼を殺す準備がなされたのである。カシケは翌日もっと人が集まるだろう、そしてもっと多くの娯楽があるだろうと言ったので、処刑は延期され、夜に彼は脱出したのである。

ハリス氏の友人であるスペイン人が私たちを親切に受け入れてくれた。彼の家にはひとつの大きな部屋があっただけだが、それはブラジルのよりは清潔で快適であった。この12時間何も食べていなかったので、夜私はとても憔悴していた。


[注釈1]ダーウィンはスペイン人("Spaniard")という言葉を時々使います。訳語としてはここでは簡単に"スペイン人"を用います。ただし、実際にはこの時期すでにこの地域を含む国としてのアルゼンチンはスペインから独立しているので、英語の"Spaniard"の用法としてはそれで良いとしても、日本語としてはここで"スペイン人"というのは本当はスペイン系の人であると言うのが正確です。

[注釈2]
ここの砦でこの一隊はかなり怪しいと目され、監視をつけられていたことがフィッツロイ艦長の書いたものを読んでみれば分かります。特に、ダーウィンは一番怪しまれ、通訳の役を果たしたハリス氏が博物学者としてのダーウィンの役目について説明するのに"何でも知る男(a man that knows everything)"と言ったのがその疑惑に拍車をかけたとのことで、要するに砦を偵察に来たのだと見なされたわけです。そのへんの事情はダーウィンのここの日記には少しだけ触れられているにとどまります。このバイア・ブランカの砦での場合ほど大げさではありませんが、ダーウィンが怪しまれたのはこの機会だけではありません。(まったくの野生の地でもなく大都会でもないというような中途半端な田舎でたまにダーウィンが胡散臭く見られたということがあります。)
それはともかくとして、ダーウィンはバイア・ブランカ滞在中にいくつか大きな化石を発掘する等大きな成果をあげる事になります。それは日を追って日記の中に出てきます。


[地図]バイア・ブランカの砦付近..

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[参考映像]現在のガウチョ(これらの地帯でガウチョは今もヒーロー..)..


[参考画像] 現在のバイア・ブランカの"古道"("古道"とは言ってもダーウィンの行った頃はまだこのようではなかったでしょう)..
83277.jpg
出典: http://www.panoramio.com/photo/83277

[日記原文]

[7th(continued)]
In the evening we arrived at the creek which is about four miles distant from the Settlement. — Here was a small Schooner lying & a mud-hut on the bank. — There were several of the wild Gaucho cavalry waiting to see us land; they formed by far the most savage picturesque group I ever beheld. — I should have fancied myself in the middle of Turkey by their dresses. — Round their waists they had bright coloured shawls forming a petticoat, beneath which were fringed drawers. Their boots were very singular, they are made from the skin hide of the hock joint of horses hind legs, so that it is a tube with a bend in it; this they put on fresh, & thus drying on their legs is never again removed. — The spurs are enormous, the rowels being from one to two inches long. — They all wore the Poncho, which is large shawl with a hole in the middle for the head. — Thus equipped with sabres & short muskets they were mounted on powerful horses. — The men themselves were far more remarkable than their dresses; the greater number were half Spaniard & Indian — some of each pure blood & some black. — The Indians, whilst gnawing bones of beef, looked, as they are, half recalled wild beasts. — No painter ever imagined so wild a set of expressions. — As the evening was closing in, it was determined not to return to the vessel by the night. — so we all mounted behind the Gauchos & started at a hand gallop for the Fort. — Our reception here was not very cordial. The Commandante was inclined to be civil; but the Major, although second in rank, appears to be the most efficient. He is an old Spaniard, with the old feelings of jealousy. — He could not contain his surprise & anxiety at a Man of War having arrived for the first time in the harbor. He asked endless questions about our force &c, & when the Captain, praising the bay, assured him he could bring up even a line of battle ship, the old gentleman was appalled & in his minds eye saw the British Marines taking his fort. — These ridiculous suspicions made it very disagreeable to us. — so that the Captain determined to start early in the morning back to the Beagle. — The Settlement is seated on a dead level turf plain, it contains about 400 inhabitants; of which the greater number are soldiers: The place is fortified, & good occasion they have for it: The place has been attacked several times by large bodies of Indians. — The War is carried on in the most barbarous manner. The Indians torture all their prisoners & the Spaniards shoot theirs. — Exactly a week ago the Spaniards, hearing that the main body of their armies were gone to Northward, made an excursion & seized a great herd of horses & some prisoners. Amongst these was the head chief, the old Toriano who has governed a great district for many years. — When a prisoner, two lesser chiefs or Caciques came one after the other in hopes of arranging a treaty of liberation: It was all the same to the Spaniards, these three & 8 more were lead out & shot. — On the other hand, the Commandante's son was taken some time since; & being bound, taken the children (a refinement in cruelty I never heard of) prepared to kill him with nails & small knives. — A Cacique then said that the next day more people would be present, & Septemb: 7ththere would be more sport, so the execution was deferred, & in the night he escaped. — A Spanish friend of Mr Harris received us hospitably. — His house consisted in one large room, but it was cleaner & more comfortable than those in Brazil. — At night I was much exhausted, as it was 12 hours since I had eaten anything. —

["ダーウィンが行く"について]
このシリーズで扱っているのはダーウィンがビーグル号に乗っている時の日記です。訳文は私的な研究目的に供するだけの仮のものです。普通は全文を訳しますが日によっては原文全文と注釈または抄訳だけにとどめる場合もあります。抄訳の時はその旨を明示します。
[日記原典] "Charles Darwin's Beagle Diary" ed. by R.D.Keynes, Cambridge U.P., 1988.

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