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ダーウィンの日記1832年7月1日 [ダーウィンが行く]

ダーウィンの日記(リオ・デ・ジャネイロ)

[日記仮訳]

日曜日、(1832年)7月1日

ウォースパイト号の上での礼拝式に参列した。式は、始めのところで英国国歌が奏され650人の乗組員が脱帽するような場面など特に、堂々としたものだった。外国人の中にいる時、自分の国の強さと力を見ることは故郷では感ずる事のない歓喜を与えてくれるものだ。この船は、もし仮にもうひとつのトラファルガーの会戦に参加したとしても、今とまったく同様の状態にある事だろう。それは全体もその部分部分もとてもすぐれた構造となっている。その艦長が一切合財が彼の意思に従うという事を知っている場面において、人は彼の誇りをいぶかしむことが出来るであろうか。このような乗組員の間にいて後甲板に立っている時、それより高みにある状況というものを果たして想像できるだろうか。

総員点呼(全員がデッキに沿って2列に整列)の後、上級の士官たちが船全体をひとまわり歩く。私は彼等について行った。それですべての貯蔵室その他をよく見た。それを見たことのない人はその清潔さや極度の整頓について正しく思い浮かべる事がないであろう。

礼拝式の後、私は博物学(natural history;自然史学)を好むふたりの士官を紹介された。その船室のひとつにアフリカの鳥[Cape-birds]の鳥かごや額に入れられた植物があるのを見て私は驚いた。

私は士官室で食事をしたが、とても快適なパーティーだった。10砲門のブリッグ型の船[ビーグル号]からこのような快適で贅沢なところに来てみると少しうらやましくなる。多くの区画が使用されていないので、私の目からすれば、良い食糧を船外に投げ捨てるのとおなじような大きな浪費のように見える。

英国国歌を奏した後、楽隊はいくつかの美しい曲を演奏した。"フィガロ"、"セミラーミデ"、"セビリャの理髪師"の序曲を聴くというのは平凡な楽しみではなかった。長い断食[注:音楽の欠乏]の後、音楽への欲求がとても強くなるわけだ。

ビーグル号に帰る前に、私は[ウォースパイト号上で]すべてのハンモックが網から吊り下げられるところを見た。[捕らえられ流刑地に行く時の]ナポレオンは英国の船の上でこの乗組員たちの突進的な行動に他の何ものよりも驚いたと言われている。

[参考画像]ウォースパイト号(HMS Warspite1807)の画像..
d4987329x.jpg
画像出典: http://www.christies.com/LotFinder/lot_details.aspx?intObjectID=4987329
(信号旗がW旗なのは画家が単に船名の頭文字を示しただけか..)

[日記原文]
Sunday, July 1st
Attended divine service on board the Warspite: the ceremony was imposing; especially the preliminary parts such as the "God save the King", when 650 men took off their hats. — Seeing, when amongst foreigners, the strength & power of ones own Nation, gives a feeling of exultation which is not felt at home. — This ship would be in exactly the same state, if she was going to fight another battle of Trafalgar. — It is in the whole & its parts a most splendid piece of mechanism. — Can one wonder at pride in the Captain, when he knows that all & everything bends to his will? When standing on the Quarter deck, in the midst of such a crew, can there be imagined a more lofty situation?- After divisions (the men being all arranged along deck in the two watches), the head officers go the rounds of the whole ship. — I accompanied them, & thus well saw all the store-rooms &c. — Those who have never seen them will form no just idea of their cleanliness & extreme neatness. — After Church I was introduced to two officers who were fond of Nat: History: I was surprised to find in one of their cabins an aviary of Cape-birds & plants in frames. — I dined in the Ward-room & had a very agreeable party. — Coming from a ten-gun Brig into such comforts & luxuries, makes one a little envious. — So many corners unoccupied, appeared to my eyes. as great a waste as throwing good food overboard. — After the Kings health & "God save the King" the band played some beautiful music. — It was no common pleasure to hear the Overture to Figaro, Semiramides, Il Barbiere. After so long a fast, the appetite for Music becomes very keen. —

Before I returned to the Beagle I saw all the hammocks carried down out of the nettings. — it is said that this rush of the men surprised Napoleon more than anything else on an English ship.

["ダーウィンが行く"について]
このシリーズで扱っているのはダーウィンがビーグル号で航海に出ている時の日記です。訳文は私的な研究目的に供するだけの仮のものです。通常は全訳とします。
[日記原典]
"Charles Darwin's Beagle Diary" ed. by R.D.Keynes, Cambridge U.P., 1988.


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アヨアン・イゴカー

ナポレオン一世は1821年に死亡しているので、11年しか経っておらず、ダーウィンにとってそれほど過去の敵国の英雄ではなかったのだと思われます。
都会人の慌しさと言うのは、ちょっと昔であれば、日本でも田舎から出てくる人々の印象に残ったものです。海軍国イギリスの船員たちの慌しさが、陸軍国のナポレオンには異常に見えたのかもしれません。
by アヨアン・イゴカー (2008-07-01 08:41) 

さとふみ

ダーウィンは1836年、当時まだナポレオンの遺体の埋葬されてあったセントヘレナ島でそのお墓のすぐ近くに泊まっています。
by さとふみ (2008-07-01 09:17) 

春分

ナポレオンの死から11年くらい?
私にとってはたとえば戦中に活躍し戦後死んだ人たちでしょうか。
by 春分 (2008-07-05 21:02) 

さとふみ

2008年から11年前なら1997年で、例えば鄧小平が死亡してますね。
by さとふみ (2008-07-05 21:19) 

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