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ビール [フード&ドリンク]

最近、刈り入れを目前にした麦畑の脇を通る機会があって、まだ麦秋(旧暦4月)までは4日ほど早いですが、麦からの連想でついついビールの話題を..

中世以降

歴史的にはビール醸造ですぐれているのはイギリスのほうだったともいわれるようですが、やはりドイツは質の高いビールで有名で、近年でもビール生産総量世界第3位、1人当たりビール消費量世界第3位(チェコ、アイルランドにつぐ)だそうです。

中世のドイツ(統一国家ではない)では主に修道院でビールが造られたようで、ドイツの修道院の醸造所の草分けは聖ガレン修道院(現スイス領)で、そこの9世紀に書かれた記録が残っているようです。

12世紀には北ドイツのリューベックやハンブルクといったハンザ同盟都市で市民による醸造がはじまり、例えばハンブルクの中世における富はビールによって蓄積されたとか。

"この港(注:ハンブルク)からでてゆく貨物船には一般の商品といっしょにビールが積み込まれ、オランダ、スエーデン、ロシアに運ばれた。
"ロストックにのこっている14世紀の記録をみると、この港からでる貨物船の積荷の大部分はビールだった。そこからオランダに向った船はデンマークを迂回しなければならなかったが、そこで、しばしばデンマーク人に襲われ、ビールの樽を奪われた。
"ドイツの北西と北東の全体は巨大なビールの貯蔵所と化し、そこに住む人々の思想も感情もすべてがビールにつながっていた。"
(春山行男著「ビールの文化史」、平凡社、1990)

(ハンブルク港ウェブカメラ)
http://www.hafen-hamburg.de/content/view/434/480/lang,de/

ドイツでの三十年戦争(1618-1648)に起因する荒廃の結果、それまであったぶどう園が多く消失し、それも原因のひとつとなって南部バイエルンを含むドイツの広範囲の領域でビールが主流となったと言われます(上掲「ビールの文化史」)。現在ではミュンヘンのあるバイエルン地方はビールの大産地として有名です。
なお、ビアザック(Biersack ビール袋)という姓もあるようですが、これは冗談で作られた姓なんでしょうか。

17世紀から18世紀にかけてヨーロッパにトルコからコーヒーが伝わり、
(トルコ式コーヒー)

特にイギリスでは(茶より先に)コーヒー飲用の習慣が広まり、ドイツでもプロイセンをはじめとしてコーヒーが盛んになりかけます。ところが貿易経済的事情があって、プロイセンのフリードリッヒ大王はコーヒー禁止令(1770年代なかば)を出してビールの方を奨励しています。
作曲家のJ.S.バッハが1734年頃に「コーヒーカンタータ」という作品を書いて、コーヒー好きの娘とそのコーヒーをやめさせようとする父親のやりとりをコミカルに描いているのはよく知られたところでしょう。この場合はストーリー展開で娘の方が一枚上手で、どうやらこれをみるとバッハはコーヒー好きだったということなのかもしれません。

また、バッハの遺産目録には錫製のビアマグ3個が記載されているので、バッハがビールを飲んだ事はほぼ間違いないと考えられます。(注:来客用だった可能性もありますね。) バッハを巡る資料における話題ではこれ以外にビールの事が出て来ないようなのは、ビールがあまりにも当たり前のものだったことなのか..

しかし、やがて、茶、コーヒー、そして飲料品としてのチョコレートの普及によって、「ヨーロッパで最もよく飲んだドイツ人が、最も素面(しらふ)の国民の仲間」に変化してゆくようです。
(参考文献:同上)

Prosit!

(ビットブルガー; 苦みと酸味とがよくバランスしていて落ち着いた味わい)


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コメント 4

aranjues

ビットブルガー・ピルス、、美味しそう。。
この樽生は飲んだこと有りません。
by aranjues (2007-05-14 21:33) 

さとふみ

この安定した味わいが好きです。
by さとふみ (2007-05-15 08:33) 

moonrabbit

背景が解ると、曲も劇もひと味違ってくるんですよね。(^^
by moonrabbit (2007-05-16 19:03) 

さとふみ

J.S.バッハはオペラを作曲していませんけれど、コーヒーカンタータはオペラ的に演出して演奏することも出来るような曲なんですね。
by さとふみ (2007-05-16 19:24) 

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