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マゼランはマゼラン海峡を通ったか [海と船]

マゼランはマゼラン海峡を通ったか

普段当然の事とされていることで、ふと、それは本当の事なんだろうかと疑問になる事ってありませんか。
マゼランが通ったと言われているマゼラン海峡ですが、あるきっかけで、本当にマゼランはそこを通ったんだろうか、どこか別の所を通ったということはないのか、ということが気になり始めました。 例えばドレイク(Sir Francis Drake)という人は1577–80年に世界一周したのですが、ドレイク海峡と呼ばれている海峡を実は通ってないということを聞いたりしたらなおさらです。

(マゼラン海峡と、参考のためビーグル号の通り抜けた水路)

そこで、今回はマゼランに同行した人達の記録を少し調べてみようというわけです。普通はピガフェッタという人の記録がマゼランの航海についての基本文献とされているようなのですが、こちらは読んで面白いし情報も豊かですけれど、マゼラン海峡の通り抜け自体について十分よくわかるようには書いてないと思います[注]。
[注] ピガフェッタの書いたものは岩波書店から出ていた「大航海時代叢書」I (1965年)の中に翻訳があります。

ところが、フランシスコ・アルボ(Francisco Alvo)という水先案内が実はマゼラン一行の航海記録を残していて、これが極めて簡潔で坦々と書いていますけれど、マゼラン海峡通り抜けについて実際的な情報を与えてくれるので、これを読んでみました。関連部分は次のとおりです ..

:
(括弧の中はすべて訳注です。)

"(1620年) 木曜日、10月18日、サンタ・クルス河(口)を出帆した。逆風で2日間タッキングを繰り返したがその後順風となった。南南西に2日進んだところで太陽をとらえた(天測をした)ところ(南緯)50度と2/3で、日付は20日であった。
(注:サンタ・クルス河口はマゼラン海峡の東の入り口の北、約250kmの所にあります。)

"同じ月の21日、ちょうど(南緯)52度で太陽をとらえた。陸地から5リーグ(スペインの1リーグが4.2km として4.2x5km=21km)の所であった。そこで我々は湾のような大きな開口部を見た。その入り口には右側にかなり長い砂の陸地があった。そしてその陸地の手前の岬は"聖処女岬"と名付けられた。その砂の陸地は緯度52度、経度が52度と1/2にあった(注:経度の数値のほうは精度面であてになりません)。この砂の陸地から対岸までは5リーグ(21km)ほどだろう(注:"マゼラン海峡"の入り口としてほぼピッタリです)。

"この湾の奥に幅1リーグ(4.2km)ほどの海峡を見つけた。
(注:"ファーストナロウ"のことと思われます。これも幅があってます。)
その入り口と砂の陸地の間は東西(の位置関係)となっている。湾の左手には大きな屈曲があってその中には多くの砂州がある。 その海峡(ファーストナロウ)に入ったら北岸寄りに進み、その海峡にいるあいだ入り口から3リーグ(12.6km)の間は浅瀬に気をつけよ。南西の方角に海峡を行くと砂のふたつの小島が見つかる。それから水路が開ける。その中を好きなようにためらわず進みたまえ。

"この水路を進んでいるともうひとつの小さな湾が見つかった。それからはじめのと同じような第2の海峡があった(注:"セカンドナロウ"のことと思われます)。最初のからふたつめの入り口までは東西、狭い部分は北東から南西に走っている。

"そして、ふたつの海峡あるいはナロウを過ぎると、我々はとても大きな湾を見つけた。そしていくつかの島も見つけて、そのうちのひとつに錨を下ろした。そこで太陽をとらえ(南緯)52度と1/3にいることが分かった。

"そこから我々は南南東に来て、左手に陸地を見た。そこから最初の(すでに通って来た)入り口まで30リーグ(126km)ほどもあるだろう。その後我々は南西に20リーグ(84km)進み、そこで太陽をとらえたら53度と2/3であった。

"そこから北西に帰り(注:それまで南方に進んだのを北方に変えた)、15リーグ(63km)ほど進み緯度53度で錨を下ろした。この海峡には多数の屈曲があり、山の連なりはとても高く雪や多くの森林でおおわれている。 それから我々は北西から1/4西(の方角)に進んだが、この航程には多くの小島がある。

"海峡を抜け出ると海岸は北に転ずるのがわかる。左手に島と岬を見た。我々はそれらにそれぞれケープ・フェルモーソとケープ・デセアドという名前を付けた(注:現在のケープ・ピラールのことと思われます)。それは海峡の入り口の聖処女岬と同じ緯度にある。

"上述のケープ・フェルモーソからその後我々は北西に、北に、そして北北東に2日と3夜進み朝に尖った丘のある陸地を見た。それは南北に走っている。ケープ・フェルモーソから大体20リーグ(84km)であった。それは12月1日のことであった。"

以上は次の本からの関連部分(10月18日から12月1日まで)の訳です.."The First Voyage Round the World by Magellan", tr. by Lord Stanley of Alderley, Elibron Classics, 2005; なお、これは1874年出版の同名の書籍の復刻版です。
注: 水先案内アルボまたはフランシスコ・アルバロの航海記録は1619年8月10日から1622年9月4日までのもので、その原本はスペインのシマンカスに保存されており、写本が大英博物館にあるとのことです。ここで使ったのは上述の本にある英訳です。

どうやら、これを読むと、マゼランたちが今マゼラン海峡と呼ばれる'V'字形の海峡を辿ったのは確かなようですね。 辿った経路での方角の推移の様子と、それからなによりも、出口が入り口と同じ緯度だということから見ると、これはやはり今言う"マゼラン海峡"であることは疑いようがないです。
うーむ、当たり前の結論が出てしまいましたか。

...... 以下は画像と衛星写真による簡単な検証材料 .....

("その入り口には右側にかなり長い砂の陸地があった。")

画像の出典: http://www.panoramio.com/photo/365616

("この湾の奥に幅1リーグ(注:4.2km)ほどもある海峡を見つけた": 数字で1と印を付けたところか)

("それからはじめのと同じような第2の海峡があった。": 数字で2と印を付けたところか)

("左手に島と岬を見た。我々はそれらにそれぞれケープ・フェルモーソとケープ・デセアドという名前を付けた。..それは海峡の入り口の聖処女岬と同じ緯度にある。": 数字で3と印を付けたところか)

(ケープ・ピラール、マゼラン海峡の西端)


ところで全くの余談ですが、マゼラン海峡を泳ぎ抜けた人間っているんでしょうか。アマゾン川を泳ぎ下った人がいる今となっては、これもひとつの記録挑戦の課題なのではないか、などと無責任なことを考えていますが、潮流の強さが障害となるかもしれませんね。泳いでいて水の流れに押し戻されるのってかなり心身に負担がかかるんですよね。

マゼラン海峡


(初期の縮尺が大きすぎるようなので、手動で縮尺を小さくしていってください。)


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