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ガラパゴス諸島でダーウィンは..(余談) [ビーグル号]

ハレー彗星を見たらしい

今回も余話です。
長楕円の軌道を持って周期的に太陽の近くに帰ってくる彗星の中でも、極めて有名な彗星のひとつにハレー彗星があります。 これはエドモンド・ハレーという人が、過去の1531年、1607年、そして1682年に現れた彗星が実は同一で、次に1758年頃にまた出現するということを計算によって予見したということで有名です。(注: ハレー彗星はイギリス史において画期的なノルマンによる征服の年1066年に現れた彗星でもあるということがわかっています。)
この1758年末から1759年はじめにかけてのほぼ予告どおりの出現によって大きな注目を集めたハレー彗星、その次の出現はあまり大きな話題となる事もなかったようです。ところがその出現というのが1835年後半だったんですね。地球にもっとも近づいたのは10月13日で、太陽にもっとも近づいたのが11月16日だったようです。

このとき、具体的には1835年10月8日から17日まで、ダーウィンはガラパゴス諸島のジェームズ島(現サンサルバドール島)にいました。ビーグル号は別の所に測量や補給に行っていて、ダーウィンの一隊は島での水場が海水に没して飲み水がなくなってしまい、アメリカの捕鯨船に助けてもらったりしていた時です。(その捕鯨船の方は島で行方不明になった乗員をさがしていたとのこと。)

どうやらダーウィンはこの間の14日に彗星を見たようです。彼のフィールドノート(日記とは異なるノート)の14日付けのところの末尾に
"Comet(彗星)"
と単語だけを書いてあるんです。

彗星についてそれ以上の記述はありません。またその後17日まではフィールドノートには記入がありません。"日記"や"航海記"にもそれ以外の著述にも、このハレー彗星を見た事については何も書いてありません。フィッツロイ艦長の書いたもので今読めるものにもハレー彗星についての記述は見当たりません。
推測になりますが、このハレー彗星についての観測をビーグル号で行っていないのは、本来の任務であるガラパゴス諸島の測量の方が忙しかったためであると考えられます。出発に当たって海軍本部のボーフォートからフィッツロイ艦長に与えられたメモには、航海中予定に差し支えない限りにおいて興味深い天文事象を観察する事、そして港にいる場合の彗星発見時の観測について言及があります。ですから、これがもしどこかの港に入っているような場合でしたらかなりきちんとした観測をしたはずです。 航海のための天測以外の船を使っての天体観測というのも、キャプテン・クックの航海のもともとの発端が金星の太陽面通過をタヒチ島で観測するためだったことを思い起こせば不思議な事ではありません。

注1: もっともビーグル号の行っていた島の方は当時あまり天気も良くなかったようです。それからダーウィンがフィールドノートをしばらく書かなかったのは観察よりも標本の採集の方で忙しかったためと考えられます。
注2: 次の彗星年表によりますと(↓)、
http://cfa-www.harvard.edu/icq/bortle.html
この時のハレー彗星は"COMET 1P/1835 P1"として観測されていて、ダーウィンがノートに「彗星」と書き込んだ1835年10月14日にはうしかい座の最北部にあって、光度は1等星程度で尾の角度20度、宵の空に見えたようです。うしかい座ということは、赤道直下でも見える事は見えますが、北に行くほど見やすかったかと思われるので、ダーウィンやビーグル号上から見えたとしてもそれほど空高い位置ではなかったのであまり印象は強くなかったかもしれません。

(ガラパゴス諸島付近1835年10月14日日没直前の空の様子の模型..紫色で印を付けた所が うしかい座 の北部)

その後の記述がないとは言ってもダーウィンがガラパゴス諸島のジェームズ島で彗星を見た事は上述のノートによってほぼ間違いないと思われます。時期を見ればこれはハレー彗星だと考えられるわけです。 おそらく、10月20日からのガラパゴス諸島からタヒチ島に向っての太平洋の横断の間少なくともはじめのうちは、宵に1~2等級程度の(注:それほど明るいというわけではないですが)ハレー彗星が洋上で前方右舷側に見えていたのではないでしょうか。

その1835年接近時のハレー彗星は日本でも見えたようで、おそらくその時のハレー彗星を描いたと考えられる九谷焼の皿があるそうです(↓)。
http://www.kobe-np.co.jp/kobenews//sougou/011004ke24990.html
(神戸新聞 2001年10月4日の記事)

その九谷焼の窯のある加賀藩の金沢では柴野優次郎という人がこの彗星を見ていて、
"八月廿三日微雲中、光芒嵩如"
と書いているとのことです。
http://www.geocities.jp/whhxj855/kanazawa.htm
この八月廿三日という日付はグレゴリオ暦ではダーウィンがフィールドノートに"彗星"と書き込んだ10月14日にあたります。ただし見たのは日本の時刻での夕方ですが、ダーウィンのいた位置(赤道上西経90度)の時刻より半日(12時間)+3時間ほど早い時刻となります。


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春分

ビーグル号シリーズですか。これは面白そうです。
後で見に伺うために、まず1つだけnice!とコメントを残させて下さい。
by 春分 (2007-07-30 20:47) 

春分

さて、一通り読ませて頂きました。
どのような経緯でこれほどダーウィンの航海にご興味を持たれたのか
存じませんが、私も興味を持つ航海がございまして、ブログに書きたい
と思っておりました。参考にさせて頂きたく存じます。
興味を持つ航海とはステラーとベーリングの航海ですけれども。
by 春分 (2007-08-26 20:23) 

さとふみ

>私も興味を持つ航海がございまして、ブログに書きたいと思っておりました。

あ、面白そうですね。 楽しみにしています。
by さとふみ (2007-08-26 20:31) 

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