SSブログ

熱月(テルミドール) [あれこれ]

熱月(テルミドール)

(2007年)7月23日は24節気のひとつ大暑です。
フランス共和暦という珍しい暦がかつてあり、それでは23日は熱月(Thermidor; テルミドール)と呼ばれる夏の月の4日目にあたっています。暑い時節の月を熱月などと呼ぶと暑さが増すような気もしますが、その呼び方、ある意味では"理性的"(あるいは"啓蒙主義的")なのかもしれません(笑)。

このフランス共和暦というのはフランス革命後の第一共和制の1時期である1793年秋からナポレオンによる帝政期の1805年12月31日(グレゴリオ暦表示)までのほぼ12年という短期間使われただけの暦なのですが、時間単位を10進法にして計算するなど、かなり特異な暦法です。世界中、そして歴史上、色々な暦法がありましたが、この暦は啓蒙主義の影響下の時代に制定されたある意味で最も"理性的"な暦のひとつなのでしょう。7日からなる1週間というのを廃止し、10日を1単位と定め直し、1日は10時間、1時間は100分、1分は100秒としたわけです。なお、この時期には長さの単位であるメートルも定義されて、そのメートル法の10進法は現行です。時間の単位の方は共和暦の廃止により60進法(1分は60秒)にもどされています。

この暦法と結びついて記憶される歴史的事件もいくつかあり、例えば1794年の熱月9日(現行暦では7月27日)の"テルミドールのクーデター"とよばれるロベスピエールの失脚は有名です。この事件は歴史的には市民革命の終わりを画するものとも言われているようです。ロベスピエールの恐怖政治を生み出した経緯などにとどまらず、フランス革命においては反省のなされる面が数多くあるようですが、その混乱からの脱却の長い過程の契機となる"熱月9日"の出来事というのは世界史的に重要な転回点ではあるようです。

(ロベスピエール)




フランス革命の終焉のもうひとつの局面を画するとされる1799年のブリュメール(霧月)18日のクーデターというのも共和暦による日付として有名ですね。これはグレゴリオ暦では1799年の11月9日にあたります。これによって、必ずしもクーデターの首謀者ではなかったナポレオンはその人気を背景に第一執政の役を買って出、1804年には帝政を敷いて自らフランス皇帝となります。

(第一執政のナポレオン)

ナポレオンは1804年12月2日にフランスの皇帝に即位しますが、その後1815年のイギリス・プロイセンとのワーテルローの戦いで敗北し、(2度目の)退位に追い込まれ、大西洋の孤島セントヘレナに幽閉されてしまいます。そこで実質上の監禁生活を強いられ、1821年にそこで没します。
ビーグル号で世界を周航したダーウィンが、ナポレオン没後15年の1836年7月に、周航からの帰途、セントヘレナに立寄り、たまたままだその故国フランスを遠く離れたこの流刑の地に遺体の埋葬されてあったナポレオンの墓のすぐそばに宿泊した事があります。



今年(フランス共和歴215年)の熱月は7月20日(グレゴリオ暦表示)に始まっています。で、現行暦での7月23日は熱月の4日目ということになります。
(注: もとの形のフランス共和暦での閏年のルールには未定義の部分があり現在まで延ばして適用しようとするとき面倒なようです。1795年に提案された単純化された閏年のルールもあり、それを現在まで適用した場合は1日分だけずらすように改訂しておかないといけないようです。上で今年は7月20日が熱月の第1日だと言った場合、その改訂なしで計算しています。)

参考文献へのリンク:
http://emr.cs.uiuc.edu/home/reingold/calendar-book/index.shtml

時々、他にも変わった暦法についての話題も取り上げてみます。



nice!(12)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 12

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。