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5月になりました [あれこれ]

5月になりました

まずは、歌を聴いてみましょうか(↓)..

5月と言うと、その5日の"こどもの日"がひとつの際立つ日付になっていて、これはこの時期の連休の目玉的期日になっているわけです。 基本的にこれは端午の節句の系譜を受け継ぐものなんですね。
で、端午の節句というのは、本来は旧暦、つまり、禹域古代に使われたとされる、月の満ち欠けによる暦法で年のはじめとしての正月を冬至を含む月から後の2番目の月とする暦(注:伝説上の人物の創始した""という王朝名を付けて"夏暦"と呼ばれてきたようです)に、後世いくつも修正を施してできた総称太陰暦での5月5日です。(注:"禹域"とは儒教の五経のひとつである『尚書』のなかの地理書としての性格を持つ「禹貢」編に記された領域のことです。)
今年は、その太陰暦での5月5日はグレゴリオ暦での6月19日にあたるようです。もちろんグレゴリオ暦(新暦)でのお祝いが今では普通になっています。ただ、節句の季節感が昔のと今のとでは異なるということだけは見ておきたいところです。新緑のグレゴリオ暦5月5日は気持ちの良いものです。太陰暦の5月5日の方は(夏至までの日数が)年によって違うので、たまに梅雨にかかる年もあったりしますからそのような場合はうっとうしい時期になったわけですね。でも梅雨入り直前の最もさわやかな時期のひとつにあたる年も多かったと思います。

端午の節句と粽(ちまき)を食べる風習とが結びついている場合もありますが、これは、(太陰暦)5月5日が、古代の戦国時代のの国の不運な貴人、そして政治家であった屈原が石を抱いて汨羅江(べきらこう)に入水自殺した命日とされていて、屈原の亡骸が魚に食べられないように魚の餌として彼を慕う人々が笹の葉に米の飯を入れて川に投げ込んだことがその起源だという伝説があるようです。
屈原の作とされる楚辞があり、その内容構成は単純ではないようですが、おおまかに言ってこれは屈原自身の作というよりも、大部分は彼を慕う後世の詩人たちが制作した作品であろうという説もあるようです。(注: 小南一郎著「楚辞とその注釈者たち」、朋友書店刊 に、そのような観点を裏付けてくれそうな精緻な検証があります。)
実際、屈原本人の作とするには、あまりにも自意識過剰で恨みがましい部分がある、という個人的感想を私は持っています。全体が自作だったら、古代人としてはこれほどまでに自意識を前面には出さないのではないかと..
(注: これは全く個人的な印象で、上述の小南氏の研究は印象に基づいたものではなく、精密な文献比較によるものだということを付言します。)

参考画像: 朱熹撰「楚辞集註」 宋本影印版
「離騒」の冒頭部分


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