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キャプテン・クック没後のレゾルーション号 [海と船]

キャプテン・クック没後のレゾルーション号およびディスカヴァリー号が日本東岸に沿い、さらに硫黄島を"発見"したこと

ジェームズ・クック(1728-1779)は英国の海洋探検家であり、海図製作者として極めて有名です。彼は3度にわたる大きな航海を行います。

1) 1回目は1768年から1771年までのエンデバー号による航海で、1769年6月3日のタヒチ島での金星の太陽面通過の観測がひとつ、次いで南海、具体的にはこの場合ニュージーランドからオーストラリアの東海岸、の測量がもうひとつの仕事でした。

2) 2回目の航海は1772年から1775年までのレゾリューション号とアドベンチャー号による航海で、南極及び世界周航をめざし、ヨーロッパ人としてははじめて南極圏にはいります。(但し南極大陸までは到達していません。)

3) 3回目は1776年からのもので、レゾリューション号とディスカバリー号による公式の目的は北極付近を通って大西洋から太平洋に抜ける航路を探すことでした。途中ハワイイに立ち寄り、数度にわたる寄港を行うのですが、現地の人達との間に衝突が起き、キャプテン・クック(ジェームズ・クック)はハワイイのケアラケクア湾に没します(1779年2月14日)。

以上の航海のうちのいくつかのトピックはいずれまたとりあげる機会もあろうと思いますが、今回のトピックは、キャプテン・クック没後のレゾリューション号とディスカバリー号との話です。これら2隻はその後も、北極海域を通って太平洋と大西洋を結ぶ航路の発見を目指し、1779年7月、太平洋北部からベーリング海峡を北に抜けようと試みるのですが成功せず、カムチャツカ半島および千島列島沿いに南下し、さらには日本本土に接近します。

(古い地図上に記入されたレゾルーション号とディスカヴァリー号の航跡)

以下、少し長いですが、キャプテン・キング(ディスカヴァリー号のキャプテン)の記録を引用します..

"悪天候と逆風のため、予定の航路ははずれたが、(1779年)10月26日の明け方、西方に日本を認めた。この日は一日、日本の沿岸を航行した。

"29日9時、風が南に変わり、空が曇ってきたので、針路を転じて東方に離れた。それからまもなく、日本の船を2艘認めた。1艘は海岸沿いに北上し、他の1艘は沖にいて、こちらへ進んでくる。名前は有名なのに詳しい点になると余りにも知られていないこの国に、乗組員はみんな興味をそそられ、甲板に出てきた。私は、その船を追跡するような形になって相手に恐怖を与えぬように、こちらの船を停めた。日本の船は、半マイル[注:約926メートル;海上でのこの距離はかなり近く感じられるはず]ほど前方を通り過ぎた。声をかければ届いたであろうが、また機会もあると思って止めた。それは日本の船がわれわれの船を回避したことがわかったからである。

"午後から晩にかけて、風は強くなり、多量の雨も伴った。波は、かつて経験したことがないほど高い。しかもうねりが突如いままでの反対の方向からも押しよせたので、船は歪められ苦しんだ。この嵐の間にレゾルーション号(注:ディスカヴァリー号の僚船)の帆は、大分引き裂かれてしまった。

"10月29日から11月5日まで、東南に針路を取り、15日に至り、3つの島を望見した。そして一番大きい島の南端に船を進めた。この島には、頂上の平らな禿げた高山があり、西南西から見ると、はっきりと火口が眺められた。島の表面は、土か岩か砂かはっきりと分からぬが、その大部分は硫黄だと、推測はできた。この判断は、外観と島の突端に近づくにつれて鼻をついた硫黄の匂いとのふたつによる。陸地の方に一層近づいて通過したレゾルーション号のある士官たちは、山頂から蒸気が昇っているのを認めた。このようなことから、キャプテン・ゴア(注:レゾルーション号のキャプテン)は、この島を硫黄島と名づけた。"
(これが収録されているのは キャプテン・クック『太平洋航海記』、荒正人訳、現代教養文庫、1971 のpp.286-287です。)

日本本土のどこに接近したのかはあまりはっきりしませんが、推測では三陸海岸から房総半島ぐらいまでの間のどこか比較的長い距離で陸地に沿って南下したものと思われます。それにしても、キャプテン・クックとともに探検航海に出て幾多の荒海を知っている英国海軍のスタッフを悩ませるとは、日本沿岸の荒海も大変なものです。日本の海を甘く見てはいけません。

参考記事(バックナンバー):
http://blog.so-net.ne.jp/kozuchi/2007-06-03
http://blog.so-net.ne.jp/kozuchi/2007-06-04
http://blog.so-net.ne.jp/kozuchi/2007-06-05


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"水平の尾をもつ潮を吹く魚" [海と船]

"水平の尾をもつ潮を吹く魚"
とは『白鯨』("Moby Dick")におけるメルヴィルのクジラの定義です。『白鯨』の第32章「鯨学」においてこんなふうに定義しています。ここでのポイントはクジラを魚(fish)としているということです。
(注:原文 "[A] whale is a spouting fish with a horizontal tail.")

もちろん、メルヴィルは分類学者リンネによるクジラを魚類とは別とする学説も、あるいはキュヴィエ男爵のクジラをほ乳類に分類する説も、ともに十分承知の上であり(実際『白鯨』の中で引用と参照をしています)、さらにメルヴィルは1841年初めからしばらくの間捕鯨船に乗り組んでいますので、実際のクジラというものを知っているわけです。それにも関わらずあえて"魚"としてクジラを考えるのはどうしてなのか、不思議なところではありました。

最近、岩波文庫の八木敏雄氏による新訳で『白鯨』を読み直してみて、その訳注からヒントが得られたような気がします。それは、聖書に忠実にクジラをとらえようとすれば、あえて生物学的にほ乳類などと言っているよりも「魚」という言葉で魚に似ている水生動物として考えておくのが良いだろうということのようです。

八木敏雄氏の『白鯨』上巻(岩波文庫,2004年)pp.483-484の訳注122に次のようにあります:
"..メルヴィルが鯨を「水平の尾をもつ潮を吹く魚」と定義したときの「魚」(fish)は形態が魚に似ている水生動物のことであると解すればたりる。「ヨナ書」ニ・一にも「主は巨大な魚に命じて、ヨナを呑み込ませられた」とあるが、この魚が鯨であることに疑問の余地はない。また「創世記」七・二二にはノアの洪水のために「その鼻に命の息と霊のあるものはことごとく死んだ」とあり、これは鼻で息をするものは例外なく死んだということであろうから、鼻で息をする鯨も溺れて死んだことになり、理屈にあわない。聖書も鯨を魚として定義しているのである。世の不信ならざる者はすべからく鯨を「魚」と信じておいたほうが無難なのである。"

(注:上で出てきている「創世記」七・二二での記述ですが、権威あるとされる英訳聖書である英欽定訳版(KJV;1611年)では、対応する箇所に、鼻で息をするにしても、"乾いた土地での"という限定がありますし、ルター訳聖書(1545年)でも同じ箇所で"乾いた所"という意味になる記述があるわけで、私は必ずしも八木氏が上述の訳注122で語っている事にそのまま賛同しているわけではありません。)

というわけです。メルヴィルの、または『白鯨』の語り手としての"イシュメール"の、宗教性ということを念頭に置かなければならないなら、聖書における語の規定をおろそかにするわけにはいかないのでしょう。『白鯨』は文学作品なのです。

参考記事(バックナンバー):
http://blog.so-net.ne.jp/kozuchi/2007-04-24-1


タグ:クジラ
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沖縄の海浜(台風接近時) [海と船]

沖縄の海、穏やかな時はこんなぐあいですね..


実はこれでも外洋のうねりは大きい時です。

しかし、亜熱帯の海洋にある沖縄は時に台風の影響を受けることがあります。

普段おだやかな海辺がこんな具合になっていました(↓)..


(10/06午後 沖縄島南部付近太平洋側で撮影)

これは先日の石垣島や与那国島などの八重山列島(そして台湾)に主に被害を出した台風15号の接近時です。沖縄島には直接の大きな影響はなかったのですが、台風は太平洋上に長くあったため(フィリピン東方で10月2日に発生して、ゆっくり北上、10月6日午後2時ごろ[上の写真を撮ったころ]猛烈な勢力のまま与那国島に接近。最大瞬間風速63.2m/sを記録)、太平洋岸でのうねりがとても大きくなり、太平洋に直接面するリーフを越えてうねりに起因する波が押し寄せています。
これがもしリーフのない海岸だったら、外洋のうねりが直接岸に砕けますのでこんなものではすまないはずで、さすがサンゴ礁に守られた海辺は安定感があります。要するに、外洋の波のエネルギーを礁を造っている生きたサンゴ達が受け止めているわけです。
沖縄島の西側の海(東シナ海)を船で通ってみれば分かりますが、太平洋に大きなうねりがある時でも、そちらでは船はあまり揺れません。太平洋から押し寄せるうねりを沖縄島が抑えてしまうわけなのですが、上の写真はまさにそのうねりを受け止めている場面を太平洋に面したリーフの内側から見たものということになります。

(台風が去って数日後)


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本州紀伊半島・九州 太平洋側沿岸 [海と船]

海面写真が続きます。
今回は黒潮との関連は深いけれども黒潮そのものではなく、主にむしろ沿岸流といったところの海面の様子です。

屋久島北西面(黒潮本流が島の向こう側つまり南面にあります)

佐多岬(大隅半島南端;基本的に黒潮周辺の沿岸流)

大隅半島沿岸(沿岸流)

都井岬(宮崎県南端)沿岸

宮崎市沖

潮岬(紀伊半島南端;これはここでは例外的に黒潮本流上の海面)

この段階では黒潮本流が潮岬にほとんどぶつかっています。

尾鷲(紀伊半島東)沖 -熊野灘-

伊良湖水道

黒潮上の潮岬沖を例外として、ここでの写真では上の写真から順に(撮影場所は南西から北東に向けて並べてます)緑が強まって来ているように思われます。

九州付近の黒潮流線想定図

......................................................................
付録1: 犬吠埼沖(これは黒潮が遠くにある時で、この海面は沿岸流のもの)

付録2: 潮岬の南で紀伊半島の西側にまわるため舵をきる(黒潮上)


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トカラ海峡の海面 [海と船]

トカラ海峡は屋久島・種子島と奄美諸島の間の海峡で、トカラ列島(中之島や諏訪之瀬島などの小さな島からなります)がその間に列をなして散在しています。ここは東シナ海から太平洋への黒潮の通り道として有名です。

波の高い場合も多いようですが、天気の良いおだやかな日は美しい海面が見られます。

(トカラ海峡南部)



(海峡中部)


(遠景に"トカラ富士"つまりトカラ列島のなかの中之島の御岳)



(海峡北部;屋久島の南東)


(遠景は屋久島の南東面)

撮った時間帯が上から順に早朝から昼近くまでというようになっていて、ここの写真の場合は主に時間による相違によって海の色が異なって見えているようです。

黒潮流路(9/28~10/11; 図の中央部にトカラ海峡)

http://www1.kaiho.mlit.go.jp/KAN10/yousu/sokuho/marine/current.html


[地図] トカラ列島中之島

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カツオドリ [海と船]

先の自分流の"黒潮ウォッチング"の旅では台湾の基隆から沖縄の那覇までの途中、黒潮本流からは外れたところで、何度もカツオドリの種類に属する鳥を見ました。

カツオドリ

撮影地点("+"印; 尖閣諸島大正島の近く; これらの鳥はこの諸島で繁殖しているのだと思われる):

アオツラカツオドリ

撮影地点("+"印;すでに陸地からはだいぶ遠い):

これらはともに黒潮の本流からはやや外れた周辺部との潮目に近いところです。おそらくこちらのほうが魚が多い。


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基隆港寄港("黒潮ウォッチング"のエピソードとして) [海と船]



さて、自分流の"黒潮ウォッチング"の旅ですが、石垣島を出港してから西表島を左舷に見て外洋に出てしばらくするとこんな黒潮の海面を見たり(↓)..

さらに台湾近くではこんな黒潮の海面を見たり(↓)..

ということを6時間も続けると(この海面の色の違いは天候の相違によるところが大きいと思われます)、台湾北部の大きな港である基隆港の入り口近くにある基隆嶼が視界に入ってきます..
基隆
(撮影地点は基隆嶼の北北西1.5海里の海上。 天候はすぐ上の写真とほぼ同じですが海の色がまったく異なります。当然のことながらここはもう黒潮の上ではありません。)


基隆嶼;View Larger Map;縮尺は適宜変えてご覧ください

この時点で現地時刻午後5時29分、小雨模様で肌寒いほどでした。那覇から出港して石垣島に一時寄港し、その後しばらくはTシャツひとつで甲板上に出ていたのに、ここでは長袖の重ね着をしました。

基隆港に接近すると、おそらく港湾の役所のものと思われる小艇がうねりに浮き沈みしながらかなりの高速で接近してきます。本船の方は減速しつつあるところで、まもなく停船します。

この小艇しばらく本船の左舷に寄り添って(おそらく本船と交信して)いましたが5分ほどで立ち去ってゆきます。これから基隆へ入港となります。

基隆の港は日本の多くの港よりかなり照明が明るく思われます。

山の中腹に"KEELUNG"(基隆)という文字が掲示されています。

岸壁には"小心落海(海に落ちないよう注意)"の表示..

港に着いて通関手続きのために基隆港務局のバスですぐ近くの役所の建物まで送ってもらいます。徒歩で行く事はできません。

基隆港務局の建物です。客船の乗船用ターミナルも兼ねています。そばに巨大客船が停泊していますが、これは私が乗った船ではありません。

船は折り返しすぐ出港するので、2階の喫茶店でコーヒーを飲んだり、近くのコンビニエンスストアで買い物をしたりして時間待ちをします。

買ったのはフィジーの水でした。

やがて来たのと同じ港務局のバスで船まで送ってもらい、出港し、翌朝目がさめれば、そこは西表島の北[微東]の海上でした。


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本当は台湾でもっとゆっくりしたい。

基隆港


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