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ダーウィンの日記1832年9月7日(その2) [ダーウィンが行く]


ダーウィンの日記(バイア・ブランカ)

[日記仮訳]
(1832年9月)7日(続) [後半]

夕方、居住地[スペイン人入植地]から大体4海里[7.4km]ほど離れた入り江に着いた。小さなスクーナー船が1隻いて、堤には泥の小屋が1軒あった。何人かの野性的なガウチョの騎兵が私たちが上陸するのを見守っていて、私がこれまで見たうちで最も野性味のある奇抜な集団をなしていた。その衣服によって私はトルコ人に囲まれたかと想像することさえ出来たろう。その腰には明るい色の肩掛けがスカートとなり、その下にふさ飾りのついたズロースをはいていた。彼等のブーツはとても特異で、ウマの後ろ足の飛節の皮革から作られていてそれ自体が湾曲のある筒なのである。これを生の状態で履いてそれが彼等の足で乾くと後は決して外さないのである。拍車は巨大で、その歯車は1から2インチ[2.54~5.08cm]の長さがある。彼等は全員がポンチョ、つまり真ん中に頭を通す穴の開いている大きな肩掛け、を着ている。サーベルと短いマスケット[銃]を持って、力強いウマに乗っている。
その着ているものよりも、人間自体がずっと注目に値する。多くはなかばスペイン人なかばインディアンであり、いくらかの人は単民族出で、幾人かは黒人である。インディアンは、ウシの骨をかじっている時、まったくのところ半ば呼び返された野獣のように見える。どんな画家もかくも野性味のある表現の組み合わせを想像した事はなかったろう。

夕闇が迫っていたので、夜船に戻る事はしないことに決定された。そういうわけで、私たちは全員、[馬上の]ガウチョの背後に乗り、砦に向かって抑え気味のギャロップ[hand gallop]を開始したのであった。

ここでの受け入れは心のこもったものではなかった。司令官は礼儀正い性格だった。少佐は階級においては次位であるが最も実力があるようだった。彼は年配のスペイン人で嫉妬のくすんだ感覚を持っていた。彼は軍艦が初めて港に入った事による驚きと心配を抑える事が出来なかったのだ。彼はこちらの兵力等々について際限のない質問を行った。そして、艦長が、湾を讃えて、彼は戦列艦をさえ繰り出せると言ったので[注]、かの年配の紳士は驚き、その心の目に英国の海兵隊がその砦を取るのを見たのであった。この滑稽な疑いは私たちにとってかなり不快なものとなった。それで艦長は翌朝早くビーグル号に帰る事に決めたのである。
[注]会話の具体的進行は分かりませんが、あるいはこれは執拗な詮索に対してうんざりしたフィッツロイ艦長によるある種の挑発的言辞かと思われます。一種のユーモア。これに続けてのダーウィンの叙述はこのスペイン人少佐が愚直にもそれを真に受けた様(さま)を表しているのでしょう。

居住地[スペイン人入植地]は全く平坦な芝地にあり、大体400人の住民がいるが、その多くは兵士である。この場所は要塞化されているのだが、そうする理由があるのだ。ここは何度も多くの数のインディアンによって攻撃されているのである。その戦争はもっとも野蛮なやりかたで行われている。インディアンは彼等の捕虜全てを拷問にかけ、スペイン人のほうは銃殺するのである。
ちょうど1週間前、スペイン人が、その[先住民の]主要な部隊が北方に行ったということを聞き、遠征を行ってウマの大群と何人かの捕虜を捕えた。その中に主席の族長である老トリアーノもいた。彼は長年にわたって広い地区を取り仕切って来たのである。捕虜にする時、ふたりの下位の族長またはカシケ[Caciques]が相次いでやって来て解放のための取り決めをしようとした。スペイン人にとってはどちらでも同じ事で、これらの3人およびさらに8人は連れ出されて射殺されたのであった。
他方、司令官の息子がその後捕えられ、縛られ、(聞いたこともない念入りな残酷さだが)子供が連れて来られて爪と小型ナイフで彼を殺す準備がなされたのである。カシケは翌日もっと人が集まるだろう、そしてもっと多くの娯楽があるだろうと言ったので、処刑は延期され、夜に彼は脱出したのである。

ハリス氏の友人であるスペイン人が私たちを親切に受け入れてくれた。彼の家にはひとつの大きな部屋があっただけだが、それはブラジルのよりは清潔で快適であった。この12時間何も食べていなかったので、夜私はとても憔悴していた。


[注釈1]ダーウィンはスペイン人("Spaniard")という言葉を時々使います。訳語としてはここでは簡単に"スペイン人"を用います。ただし、実際にはこの時期すでにこの地域を含む国としてのアルゼンチンはスペインから独立しているので、英語の"Spaniard"の用法としてはそれで良いとしても、日本語としてはここで"スペイン人"というのは本当はスペイン系の人であると言うのが正確です。

[注釈2]
ここの砦でこの一隊はかなり怪しいと目され、監視をつけられていたことがフィッツロイ艦長の書いたものを読んでみれば分かります。特に、ダーウィンは一番怪しまれ、通訳の役を果たしたハリス氏が博物学者としてのダーウィンの役目について説明するのに"何でも知る男(a man that knows everything)"と言ったのがその疑惑に拍車をかけたとのことで、要するに砦を偵察に来たのだと見なされたわけです。そのへんの事情はダーウィンのここの日記には少しだけ触れられているにとどまります。このバイア・ブランカの砦での場合ほど大げさではありませんが、ダーウィンが怪しまれたのはこの機会だけではありません。(まったくの野生の地でもなく大都会でもないというような中途半端な田舎でたまにダーウィンが胡散臭く見られたということがあります。)
それはともかくとして、ダーウィンはバイア・ブランカ滞在中にいくつか大きな化石を発掘する等大きな成果をあげる事になります。それは日を追って日記の中に出てきます。


[地図]バイア・ブランカの砦付近..

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[参考映像]現在のガウチョ(これらの地帯でガウチョは今もヒーロー..)..


[参考画像] 現在のバイア・ブランカの"古道"("古道"とは言ってもダーウィンの行った頃はまだこのようではなかったでしょう)..
83277.jpg
出典: http://www.panoramio.com/photo/83277

[日記原文]

[7th(continued)]
In the evening we arrived at the creek which is about four miles distant from the Settlement. — Here was a small Schooner lying & a mud-hut on the bank. — There were several of the wild Gaucho cavalry waiting to see us land; they formed by far the most savage picturesque group I ever beheld. — I should have fancied myself in the middle of Turkey by their dresses. — Round their waists they had bright coloured shawls forming a petticoat, beneath which were fringed drawers. Their boots were very singular, they are made from the skin hide of the hock joint of horses hind legs, so that it is a tube with a bend in it; this they put on fresh, & thus drying on their legs is never again removed. — The spurs are enormous, the rowels being from one to two inches long. — They all wore the Poncho, which is large shawl with a hole in the middle for the head. — Thus equipped with sabres & short muskets they were mounted on powerful horses. — The men themselves were far more remarkable than their dresses; the greater number were half Spaniard & Indian — some of each pure blood & some black. — The Indians, whilst gnawing bones of beef, looked, as they are, half recalled wild beasts. — No painter ever imagined so wild a set of expressions. — As the evening was closing in, it was determined not to return to the vessel by the night. — so we all mounted behind the Gauchos & started at a hand gallop for the Fort. — Our reception here was not very cordial. The Commandante was inclined to be civil; but the Major, although second in rank, appears to be the most efficient. He is an old Spaniard, with the old feelings of jealousy. — He could not contain his surprise & anxiety at a Man of War having arrived for the first time in the harbor. He asked endless questions about our force &c, & when the Captain, praising the bay, assured him he could bring up even a line of battle ship, the old gentleman was appalled & in his minds eye saw the British Marines taking his fort. — These ridiculous suspicions made it very disagreeable to us. — so that the Captain determined to start early in the morning back to the Beagle. — The Settlement is seated on a dead level turf plain, it contains about 400 inhabitants; of which the greater number are soldiers: The place is fortified, & good occasion they have for it: The place has been attacked several times by large bodies of Indians. — The War is carried on in the most barbarous manner. The Indians torture all their prisoners & the Spaniards shoot theirs. — Exactly a week ago the Spaniards, hearing that the main body of their armies were gone to Northward, made an excursion & seized a great herd of horses & some prisoners. Amongst these was the head chief, the old Toriano who has governed a great district for many years. — When a prisoner, two lesser chiefs or Caciques came one after the other in hopes of arranging a treaty of liberation: It was all the same to the Spaniards, these three & 8 more were lead out & shot. — On the other hand, the Commandante's son was taken some time since; & being bound, taken the children (a refinement in cruelty I never heard of) prepared to kill him with nails & small knives. — A Cacique then said that the next day more people would be present, & Septemb: 7ththere would be more sport, so the execution was deferred, & in the night he escaped. — A Spanish friend of Mr Harris received us hospitably. — His house consisted in one large room, but it was cleaner & more comfortable than those in Brazil. — At night I was much exhausted, as it was 12 hours since I had eaten anything. —

["ダーウィンが行く"について]
このシリーズで扱っているのはダーウィンがビーグル号に乗っている時の日記です。訳文は私的な研究目的に供するだけの仮のものです。普通は全文を訳しますが日によっては原文全文と注釈または抄訳だけにとどめる場合もあります。抄訳の時はその旨を明示します。
[日記原典] "Charles Darwin's Beagle Diary" ed. by R.D.Keynes, Cambridge U.P., 1988.

ダーウィンの日記全体の冒頭部はこのブログでは次のページにあります..
http://kozuchi.blog.so-net.ne.jp/2006-10-23


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