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(初期)ダーウィンの日記における人類の未開と文明 [あれこれ]

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(初期)ダーウィンの日記における人類の未開と文明

年齢22歳のダーウィンは1831年に英国海軍の測量船ビーグル号にたまたま博物学者(naturalist;自然史学者)として乗る機会を得て、その後1836年まで、主に地球の南半球各地で博物学観察をし、様々なものを見たり、多くの経験をしました。それら見聞と経験はダーウィンの後の研究にとって決定的なものでした。その航海中に書いた日記の中には、すでにその後の思索にとっての伏線となるような記事が多数あるように思われます。

[画像]フエゴ人の集落ウーリャ(Woollya;ページ下に地図)..
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画像はフィッツロイ艦長の"航海記"(1839年刊)から

ビーグル号の主要目的は測量でしたが、それ以外の目的も持っていました。それはビーグル号の先の航海(1826~1830年;ダーウィンが乗った航海の前)の時に南米大陸南端に接するティエラ・デル・フエゴという地帯である事情により捕えられて英国に連れて行かれ、そこで教育を受けた3人のフエゴ人あるいはヤマナ族の人たち(英国王の接見を受けたこともある)をその郷里に返し、その土地の人々の教化をするというフィッツロイ艦長の計画の実現でした。この企画は、3人のヤマナ族の人達(フエゴ人)を送り返すということでは一応の結果を出しましたが、土地の人々を教化するという面では失敗に終わります。ダーウィンは1831年末から1833年初頭までそのヤマナ族(フエゴ人)の3人とビーグル号上でともに生活をするという経験を持つことになったわけです。

[余談] これは、発端が、前回のビーグル号の航海の時にヤマナ人(フエゴ人)たちによるビーグル号のボートの盗難があったことに対して、その時に担保としてヤマナ族(フエゴ人)の数人を捕えた、ということにあります。経緯はともかく、事実そのものとしては、英国艦船がヤマナ人を連れ去ったということにはなります。でも、ここで注目すべきは、フィッツロイ艦長の場合は、私費を投じてでもわざわざ一隻船をしたててその拉致した人々を遠くはなれた彼等の故郷に送り返すということに尽力するというわけで、その現在的観点からの当否はともかくとして、彼の場合は志に高いものがあると言えると私は思います。

ダーウィンの乗ったビーグル号はティエラ・デル・フエゴを1833年初頭と1834年始めとの2回訪れていて、そのうちの1回目は3人のヤマナ人をその郷里に送り届けるということを実行しました。2回目のほうは測量を主眼として同時に郷里に定住させたヤマナ人たちがどうしているかの様子を見ることでした。

さて、ビーグル号がこの航海中での2度目のティエラ・デル・フエゴへの到達において、3人のヤマナ人たちの定住地とした所(ウーリャ Wulaia)に到着する前の段階での日記に、ダーウィンは野生と文明についてその場で考えた内容を日記に綴(つづ)っています。興味深い内容ですので以下に見てみたいと思います。後に『人類の起源』(あるいは同じ書籍である"The Descent of Man"の別の邦題ですが『人間の進化と性淘汰』)という書籍で人類の起源についての考察を発表するダーウィンですが、南米の果てで野生の人類を見て何を考えたかを見ること自体には意義があろうと思うわけです。なお、この場合、ダーウィンは"文明化"されたヤマナ人を狭いビーグル号でともに生活することによってすでに知っている、ということは念頭に置いて良いことだと思います。

ダーウィンの日記1834年2月25日付けから(記事を書いた場所の地図はページ下)..
岸に向かう時私たちは6人のフエゴ人の乗るカヌーと隣りあわせになった。これほどみじめな者たちを見た事がない。成長が妨げられ、そのひどい顔は白い塗料で汚れていてほとんど裸である。ひとりの年のいった女もそのようであり、雨やしぶきが彼女の身体から滴っていた。彼等の赤い肌は不潔で脂ぎっており、髪はもつれ、その声は不協和で、身振りは粗暴でなんの威厳もない。[欄外に]女は子供と一緒にいる。
このような人々を見ると、彼等が同じ世界に住む仲間であるとはほとんど信じられない。

これらの完全な野生の人々のものより興味深くまた熟考に値する光景はほとんど考えつかない。才能の劣っている生き物はどのような楽しみを生きていることから得られるのか、といったことはよく行われる推測の課題ではある。このことがこれらの者たちに関して問われることは、なんといっそう理にかなった事であろうか。小屋掛け[Wigwam]を見てみると、地面のどんな小さなくぼみでも良いので、その上に2、3の腐食した木の幹が置かれ、風上にいくらかの草の茂みがある。ここに5、6人の人間が裸で風や雨や雪に対する覆いはなくこの嵐のような気候のもとに湿った地面の上で動物のように丸くなって眠るのである。 朝になると起きて干潮の時に貝をとる。女たちは冬も夏もウニをとるために潜る。そのようなみじめな食物はまずい実やキノコによって補われる。[欄外に]小さい魚を海藻中から追う。

彼等は異なった言葉を話す敵対的な部族に囲まれていて、彼等の戦いの理由は生存の資のことであるように見えよう。彼等のいる所は荒れた岩の砕けた集積であり、高い丘であり、また有用には利用出来ない森で、これらは霧や絶え間ない嵐を通して見られる。食物を探して彼等は場所を転々とするが海岸は険しいのでとてもみすぼらしいカヌーで移動しなければならない。

彼等は家を持つ感覚を知ることが出来ない。ましてや家庭の愛情はなおさらのことで、みじめな労苦の多い奴隷の主人の持つその感情をそう呼ぶ以外ない。心のより高い力はなんとわずかしか作用しないことであろうか。絵を描く想像力について、比較する理性について、決断する判断力について何ほどのものがあるのか。カサガイを岩から叩きとるにはかの心の最低の力である巧知さえいらない。彼等の技術は動物の本能と同様経験によって改善されない。カヌーは彼等の巧妙な作業結果であるが、まったく貧弱なものであり、過去300年にわたり同じままだったことが分かる。本質的に同じ生き物であるがこれらの者たちの心は教育を受けた者のそれとなんとわずかしか似ていないことだろうか。フエゴの野生人とアイザック・ニュートン卿の能力の間にはどれだけの規模の改善が含まれることだろうか。

どこからこれらの人々は来たのだろうか。世界の創造の時から彼等は同じ状態に留まっていたのだろうか。何が人の部族をして北の素晴らしい地域を離れてアメリカの背骨であるコルディジェラ[アンデス山脈]を南に下る旅をさせ、カヌーを発明し造り、そして世界で最も住み難い場所のひとつに入らせたのであろうか[注]。このような多くの他の思索がこれら貧しい野生人のひとりを見た者いずれの心をも占めるに違いない。しかし、同時にその考えのいくつかは誤りであることを知るかもしれない。フエゴ人の同類が劣化していると想像する理由はないのであり、彼は価値ある人生を送る幸福(どのような種類のものであれ)の十分な分け前を楽しむであろうことを確信して良いのである。自然は、習慣を全能のものとして、フエゴ人をその土地の気候と産物に適応させたのである。

[注]ダーウィンが1832年5月27日付けの日記の記事(リオ・デ・ジャネイロで書かれた)に次のように書いていることも注目に値します。これは言うまでもなくダーウィンが人類の起源ということを明瞭な形で発表する以前のことです:

"熱帯は人類の自然の誕生の地であるように見える。だが精神は、その果物[成果]の多くと同様に異国の風土においてその最大の完成に到達するように思われる。"
[原文]"The Tropics appear the natural birthplace of the human race; but the mind, like many of its fruits seems in a foreign clime to reach its greatest perfection."

[注釈] 例えばコロンブスの場合は、その『第三回航海の記録』に明記してますように「楽園」は現在のベネスエラ近くにあると考えていたわけで(但し、後にアメリカ大陸と呼ばれることになる「新大陸」を認識してはいませんが)、人類の誕生の地ということを言ったからといってそれは必ずしも進化の考えを背景に置いているとは言えません。人類は昔「楽園」に住んだという宗教上の観点もキリスト教にはあるからです。それでも、種の起原ということを明確にする以前のダーウィンが "人類の自然の誕生の地(the natural birthplace of the human race)"[強調は引用者]というような表現で書いている箇所があるというのは注目しておいて良いかと思います。
現在では、人類の起源の地は基本的にアフリカであるということでは専門家の意見が一致しているわけで、地球上各地に生活する現世人類の直系の祖先がある同じ時期にアフリカを出て移動したものであるかどうであるかについてはまだ議論の余地があるにしても、大筋においてはアフリカから人類は民族移動したことはほぼ間違いないわけです。ヤマナ族(フエゴ人)がどこか北の方から移動してそこに住みついたものであるのではないかという意味の、初期ダーウィンの上に引用した論点の記述において、彼は正しい方向性を向いていたことになろうと思われます。

[地図]ウォラストン島北部(ダーウィンがこの日付の日記を書いた時に停泊していた島)..

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(日記の日付当日の正午の天候: 西南西の風、風力5、全天曇り、驟雨、気温摂氏9.4度、水温摂氏9.7度)

[地図]ウーリャ(Woollya; ページ上の挿絵の集落)の位置[緑のマップポインターのさす地点; "A"はここでは無関係]..

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(ともにフィッツロイ艦長の記している緯度・経度です。)




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人間科学者

さとふみさん、はじめまして。
ダーウィンのフエゴ人の記述は見事ですね。
海洋民族は海産物に恵まれているはずであるのに、
体格が貧弱であるというのはなぜなのか不思議ですね。
ダーウィンの日記の精読を継続しているこのブログに
Nice!を入れさせて頂きました。
by 人間科学者 (2008-07-06 10:45) 

さとふみ

人間科学者さん..
niceとコメントありがとうございます。
この場合、体格は食べ物の直接影響というよりは遺伝的な面が強いのではないかと私見ですが考えてみます。
by さとふみ (2008-07-06 13:10) 

あら!みてたのね

こんばんは・・・はじめまして。
19世紀後半に進化論を体系づけた人ですよね!
と、その程度の知識しかありません(笑)
My blog にご訪問、niceありがとうございます。
by あら!みてたのね (2008-07-06 23:17) 

春分

フエゴ人を元に帰す話とその結末は存じておりましたが、ダーウィンの思いは知らないか忘れておりました。だいぶ印象深い思いをしたようですね。
「銃・病原菌・鉄」という本はご覧になりましたか?なぜヨーロッパ人が文明
の多くを作ったかというようなことですが。
by 春分 (2008-07-12 11:29) 

さとふみ

『銃・病原菌・鉄』、未読です。面白そうなので読んでみたいと思います。
by さとふみ (2008-07-12 14:16) 

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